天理教2.0になるためのコムヨシブログ

23歳で天理教の教会長に就任。 従来の布教活動を心から楽しめず、自暴自棄になる。 ブログという新しい可能性と出会い、新しい教会と信仰のあり方を模索。 お供えに依存しない教会を目指し、自分の才能を活かして自分の力で稼せぎ、のびのびと楽しい信仰のあり方や生き方である【天理教2.0】を自分のスタンダードにしたいと考えている。 青森県出身 天理高校卒 天理教語学院スペイン語コース卒 天理教コロンビア出張所にて2年間勤務。上級青年勤め後23歳で会長就任。既婚/子供3人/33歳

【こどもおぢばがえり】バス団参の大赤字から見えた新しい景色

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こんにちは、コムヨシです。

アナタは「こどもおぢばがえり」って聞いたことありますか?

天理教的に人類のふるさとのことを「おぢば」(奈良県天理市)っていいます。

一般的にも、実家やふるさとに帰省するときは、「行く」という言葉より

「帰る」っていう言葉をつかいますよね。

 

人類のふるさとである「おぢば」へも、「行く」ではなく「帰る」という言葉を用います。

つまり、おぢばへ帰る→「おぢばがえり」という表現になります。

 

このおぢばがえりは、天理教信者にとってとても大切にされていることの一つであり、更には、自分が帰るだけでなく、まだおぢばというふるさとを知らない方をお連れすることも大切にされていることの一つなんです。

そして、夏休みの間に、子ども達にもおぢばに帰って来てもらいたいという思いから「こどもおぢばがえり」というものが生まれました。

kodomo-ojibagaeri.com

ボクが住んでいる地域では、たくさんの教会が協力し合って、子どもたちを引率しています。

その移動手段が、JRの臨時列車を貸し切っての移動でした。ボクも小学生の頃は毎年その臨時列車に乗って、友達とワイワイやりながら参加したもんです。

何十年も前から続くそのスタイルは、ある種の伝統と呼ばれようになり、自分たちの誇りになるものでした。

 

しかし、新幹線が普及していくに伴って発生する在来線の民間化によるコストの増大、少子化による参加者の減少、今の小中学生は部活やらなんやらで忙しい。

などの理由で、ボクらが小学生の頃に比べて圧倒的に参加者が減ってるんですね。いまのスタッフを始め、色々なところから輸送手段の変更が叫ばれていました。(と、ボクは感じていましたが…)

 

ただ、伝統のスタイルを変えることが出来ないのか、何か他に理由があるのかわからないけど、変わることなくいまも続いています。(臨時列車は廃止になったので、新幹線を使ったりしていますが)

ボクが一番おもしろくなかったのは、みんな陰ではそのスタイルに不満を口にしているにも関わらず、いざとなると何も言わないということ。

 

ボクも、上に噛み付くことでいつか体制が変わるもんだと思っていたけれど、どうやらそういう流れはいつまでたっても起こらないっていうことがわかったんです。

そこで行きついたボクの考えは

 

誰もやらねーなら俺がやる

でした。

 

 

大型バスを貸し切ることにした

ボクがまず変えていきたい思ったのは、コストでした。

 

臨時列車を利用したプランは、一般的な旅行プランに比べれば圧倒的に安いのかもしれないけど、やっぱり高い。

たくさんの子どもに参加してもらいましょうと唱いながら、一家族から兄弟全員を参加させるにはかなり厳しい金額設定。

 

ボクは、おぢばへ帰ってもらうことが何よりも大切で、そこを目的にやっているんだから、開催側が多少苦しくても、行きたいと思ってくれている子どもを一人でも多く連れて行くことが大切だと思ってます。

 

参加料金が決まり、チラシをも作りました。

 

チラシはパソコンでデザインして、「読みたくなるチラシ作り」をネットで検索しながら必死こいて作りました。

 

プリントは業者に依頼して刷ってもらったので、とってもキレイで満足のいく仕上がりになりました。

 

さあ、いよいよ声がけです。

多少の赤字は覚悟しているとはいえ、大型バスだから、最低でも20人の参加はほしいところ。

でも、その時の(今もだけど)ボクにはそんな人数が参加してくれるだけの知り合いや友達なんていません。

まったくゼロの状態からの声かけでした。

 

近所を一軒一軒歩いて回り、チラシをもってお誘いをしてみたけど、まったく相手にされない。

こんなに安いのに、こんなにチラシがきれいなのに。

その時は、なぜこんなに相手にされないのか全くわからなかったんです。

 

そうこうしているうちに、出発前日を迎えます。

参加申し込みはボクの妻と、当時生後二ヶ月の長男、妻の両親と、姪っ子、うちの教会の信者2名の8名。

 

ボクは完全に正気を失っていました。

 

明日を迎えるのが怖くて怖くてたまらない。

完全にビビってしまったボクは妻に相談しました。

「バス、キャンセルしよっか」

小心の極みです。

妻は「ウン」とだけ言ってそれ以上は何も言いませんでした。

そしてバス会社にキャンセルの電話。

ボクはほっとしながらも、罪悪感のような感じに包まれながら妻の方を見ると

「本当にそれでいいの?やるだけやってみたら?」

という言葉。

もしかしたらその言葉を待っていたのかもしれません。

勇気をもらったというか、もうやけになっていたのか、

もう一度バス会社に電話をかけ、キャンセルのキャンセルをお願いしました。

 

 

大赤字が教えてくれたこと

団参は事故やケガなく予定通り進めることができました。

 

帰って来てからは、やりきった達成感を感じながら、残った大きな借金のことで頭が一杯でした。

 

本当にこの団参はやるべきだったのか、とか色んな思いが残ったんだけど、

ふと、気づいたことがありました。

 

この団参をやっていなければおぢばがえりしていない人がいた

っていうこと。

 

そもそも、ボクは一人でもたくさんの方をおぢばにお連れするということがやりたかったことなので、それは見事に達成されてたんですね。

ただ、やり方がちょっと行き過ぎていただけで、もしも移動手段がマイクロバスだったら、それなりの形です。

でも、いきなり大きなところに挑戦したからこそ、自分に足りていないもの、自分にあるものを確認することができたんだと思います。

自分に足りていないもの

チラシを配りながらの声かけで、痛感したことだけど、人間関係はどこまでいっても信頼でなりたっているっていうこと。

ボクは金額が安く、興味を引く誘い方をすれば誰でも参加してくれると思ってたんです。

ボクが小学生の頃、友達が参加してくれた時も、努力して誘った記憶はなくて、だから参加者なんて簡単にゲットできると勘違いしてました。

その友達が参加してくれたのは、ボクと友達という信頼関係があったからなんです。そして任せても大丈夫だと保護者の方が判断してくれたから参加してくれたんです。

そこがボクはわかっていなかった。当たり前のことなのに。

自分にあるもの

それはこのバス団参を通して実感した、てめーでやる!っていうことを実践するパワーをもっているっていうこと。

でもいざとなれば腰がひけてました。

ボクにはそんなとき、力強く背中を押してくれる妻がいるということ。

こんなことに気づけました。

 

 

まとめ

大赤字から見えた景色は、実に爽快で、新しい自分の可能性をたくさんみせてくれました。

 

自分の価値観が大きく変わった瞬間でもありました。

一番大きく変わったポイントは、いまの天理教で主流になっている色々なスタイルでは限界にきてるっていうこと。

 

でも、そのスタイル自体は、過去の一定の時期には必要とされていた形なわけで、それ自体を否定しているのではなくて、必要とされている形に変えていく必要があるっていうことを学びました。

本質を変えるっていうことではなく、本質を、より分かりやすく、色々な方に伝えるために工夫が必要だということです。

いまボクがこうしてブログを書いているのも、その流れの延長線にあります。

 

大赤字から見えた価値観の変換がなければ今の自分は間違いなく存在していないと断言出来ます。

 

大切なのは借金をするっていうことじゃなくて、

「これ、やってみたらどうだろう?」っていうことを

組織や他人に依存せず、まずは自分でやってみるっていうことです。

その上で仲間って言うのは絶対大事ですので。

 

 

 

今日も一日陽気ぐらし!