天理教2.0になるためのコムヨシブログ

23歳で天理教の教会長に就任。 従来の布教活動を心から楽しめず、自暴自棄になる。 ブログという新しい可能性と出会い、新しい教会と信仰のあり方を模索。 お供えに依存しない教会を目指し、自分の才能を活かして自分の力で稼せぎ、のびのびと楽しい信仰のあり方や生き方である【天理教2.0】を自分のスタンダードにしたいと考えている。 青森県出身 天理高校卒 天理教語学院スペイン語コース卒 天理教コロンビア出張所にて2年間勤務。上級青年勤め後23歳で会長就任。既婚/子供3人/33歳

相手の雰囲気を言語化すると、自分にとっての相手の存在意義がより明確になると思った話

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どうも、コムヨシです。

 

子供たちが「トイストーリー3」を見ていました。

ボクはチラ見していただけなので、ほとんど内容はわかっていないんですが、ラストのシーンがとても印象的で、つい見入ってしまいました。

 

主人公のアンディはすっかり大人になっていて、小さい頃から大切にしてきたおもちゃたちをどうするか迷っていました。(多分。間違ってたらすいません)

アンディはおもちゃの入ったダンボール箱を車に乗せ、親戚と思われる家に向かいました。

家の庭で、4歳か5歳くらいのかわいらしい女の子がおもちゃで楽しそうに遊んでいます。

アンディは自分のおもちゃが入った箱を抱えながら、女の子のところに歩み寄りました。

人見知りな性格らしいその女の子はアンディを警戒していたようでした。

アンディは無理に近づくことなく、ある程度の距離のところで腰を下ろしおもむろに段ボールの箱を開け、おもちゃの名前や遊び方を教えます。

まるでおもちゃに人格があるかのように、一つ一つのおもちゃを手に取り、そのおもちゃの長所や短所をおもちゃに語りかけるかのように、女の子に説明します。

それは一見、女の子へ対するおもちゃの説明のように見えますが、実は一つ一つのおもちゃ達へのこれまでの労いと感謝の言葉で、まさに別れの瞬間でした。

 

アンディは、自分が大事に大事にしてきたおもちゃを、やはり大事に使ってくれる子に使って欲しかったのです。

 

ボクの勝手な推測でしかないのですが、最後の最後まで自分たちの長所も短所も全て理解し、受け止めてくれたことは、おもちゃにとってどれほどありがたいことだったんだろうかって思ったんです。

 

そんな素敵なシーンを見ながら、相手の良いところを言語化することってとても素晴らしいことだなって感じたので、今回はそのことについてまとめてみようと思います。

 

 

相手の良いところをみつける方法

3月の初旬に、学生生徒修養会大学の部(以下:学修)が天理市で開催されます。

ボクはそのスタッフとして携わることになったんですが、先日その学修に向けてスタッフの研修会に参加してきました。

 

研修は、班ごとに分かれ本番を想定した形で進められます。

一班10人くらいの班編成で、プログラムの進め方や本番に向けての心構えのようなものを実践的な形式で学んでいきます。

プログラムの最後に、一分間班員を褒めちぎるという時間があります。

2人一組になって、「お互いに1分間ずつ褒める」というのを班員全員と行います。

このプログラムを通して、褒めることの大切さと難しさを認識させられます。

褒めるためには相手のことをちゃんと知っている必要があるからです。

たった2泊3日という時間の中で、相手のことをちゃんと知るっていうのはとても難しいことです。

確かに難しかったんです。

でも、その中で気づいたことがあります。

ちゃんとは分からなくても、相手の醸し出す雰囲気は少なからず感じている。

っていうことです。

 

相手の良いところを見つけるって言うのは、なんとなく感じているぼんやりとした相手の雰囲気を言語化し、雰囲気に輪郭をつけるようなことなのかなって感じました。

 

 

人によって褒める部分が違うのは、自分にとっての相手の存在意義が違うから

 褒めることで相手の雰囲気に輪郭がついてくるわけですが、逆に褒められることによって発見出来ることがらがあります。

 

それは、自分という存在はたった一人なのに、相手によって見える角度がまったく違うということです。

例えばボクは、基本的に寡黙でギャーギャーしていません。暗いんですね。

なので、その場の雰囲気を明るくしてくれる性格の人がいてくれると、とても安心します。

かといって、あんまりキャッキャしていたり、ガンガン自分を出してくる人は苦手です。キライではないんですが、接し方が難しいって感じちゃいます。

班員に褒めてもらって感じたことは、褒めるっていうのは自分が快適になるために必要な、相手の要素を見つける作業だったっていうことなんです。

 

自分が快適になるために必要な相手の要素が、人それぞれバラバラだということは、つまりは自分にとっての相手の存在意義が違うからっていうことになります。

快適になるための要素が多ければ多いほど、その人は自分にとって魅力的な人になるでしょうし、少なかったり、むしろマイナスくらいな人とは、上手につき合うことが難しくなる。

人によって、自分の存在価値が違うっていうのはそういうことが原因なのかなって思いました。

 

 

相手の良さを探し、自分自身にしっかり認識させる

誰にでも苦手な人、嫌いな人っているはずです。

でも、人は1人では生きて行けないし、自分にとって都合の良い人とだけつき合って生きるっていうのは、不可能ではないかもしれないけど、とっても難しいことだと思う。

 

苦手だったり嫌いっていうのを、得意や好きっていう感情に変える努力も大切かもしれないけれど、苦手や嫌いの中に必ず隠れている、自分を陽気にしてくれる相手の要素を探し出し、自分自身に認識させていく努力の方が現実的じゃないのかなって感じました。

 

それが出来るようになれば、少なからず自分自身が不機嫌になることを予め回避させることが出来るし、相手に対する接し方にも余裕が出てくるんじゃないですかね。

 

それが自分を高めていくっていうことなのかもしれません。

 

どんな人とも自分らしくいられるような、そんな人間に成長したいと思います。

 

 

今日も一日陽気ぐらし!

 

 

 

 

 

 

 

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