天理教2.0になるためのコムヨシブログ

23歳で天理教の教会長に就任。 従来の布教活動を心から楽しめず、自暴自棄になる。 ブログという新しい可能性と出会い、新しい教会と信仰のあり方を模索。 お供えに依存しない教会を目指し、自分の才能を活かして自分の力で稼せぎ、のびのびと楽しい信仰のあり方や生き方である【天理教2.0】を自分のスタンダードにしたいと考えている。 青森県出身 天理高校卒 天理教語学院スペイン語コース卒 天理教コロンビア出張所にて2年間勤務。上級青年勤め後23歳で会長就任。既婚/子供3人/33歳

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【天理教】教会長就任1年目で修養科生を誕生させるためにやったこと

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どうも、コム次郎ことコムヨシです。

 

天理教と言えばおぢばおぢばと言えば修養科ですよね。え? ボクだけですか?

 

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 全く布教もしていない、おさづけも上から目線で本当にダメダメな教会長としての出発だったわけですが、実は1年目に修養科生が誕生していたんです。

 

今回は、そんなダメダメな教会長がどうやって修養科生を誕生させたのか、その秘密に迫ってみたいと思います。

予め断っておきますが、決して参考にしてはいけない話なんで、期待しながら読むと怪我します。

 

 

 

不整脈のおばあちゃん

どんな人が修養科に行ってくれたかというと、前回の「おさづけ編」で登場したおばあちゃんです。

 

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 そのおばあちゃんは、ボクが会長になるまでは月次祭にだけ参拝に来るスタイルの方でした。

この地域は130戸程の集落ですが、30年程前までは一軒から一人は必ず月次祭に参拝するという風習がありました。凄いですよね。

天理教の信者だからとか、そういうことではなくて、「月に一度の地域のご縁日」という感覚で「地元の神様に参拝に行く」という風習が根付いていたようです。

 

そんな風習も時代の流れや宗教離れなどが重なってか、ボクが就任した当時参拝に来られていたのは130軒中3軒〜5軒くらいになっていました。

 

その中の一人がこのおばあちゃんだったのです。

 

就任奉告祭までの時間、夜な夜な教会にそのおばあちゃんを集めては、祭儀式の練習をしたものでした。

 

ある日、そのおばあちゃんから電話がかかってきました。

 

「胸が苦しいんですけど、拝んでもらえないですか?」と。

 

間もなくしておばあちゃんは教会に来てくれました。

 

色々話を聞くと、不整脈を患っているということがわかりました。

 

お話が好きなおばあちゃんで、聞きもしないのに自分の生い立ちとか色々な話をたくさん聞かせてくれました。

 

当時のボクのおさづけのスタンスは、とにかく心定めをしてもらってから取り次ぐことになっていたので、おばあちゃんにも何か心定めをしてもらうことにしました。

 

おばあちゃんは最初は戸惑っていましたが、それで拝んでもらえるならと心定めをしてくれました。

 

どんな心定めをしたかというと、

 

「朝勤めに毎日参拝する」

 

ということでした。

 

ボクは朝起きるのがとても苦手なので、朝勤めに起きれない事は珍しくありません。でも誰かが来てくれるようになれば、責任感から起きれるようになるかもしれないと思い、winwinの関係だと思い、提案しました。まったくもって勝手な話です。

 

 

 

なかなか治らない不整脈

それからというもの、おばあちゃんの朝勤め参拝が始まりました。

おばあちゃんは欠かす事なく毎朝教会に参拝に来てくれるようになりました。

胸の苦しみの方も落ち着いたらしく、とても喜んでいました。

 

ボクも、「やっぱり心定めで助かるんだな〜」と優越感に浸っていました。

 

ある日の朝勤めが終わって、談笑しているとおばあちゃんが

 

「また胸が苦しいのでおさづけしてもらえませんか?」

 

とお願いに来られました。

 

そこで、また心定めをしてもらう事にしました。

今回の心定めは、

 

「夕勤め参拝」にしました。

 

夕勤めは別の家族も参拝に来てくれていたので、この日から夕勤めはとても賑やかになり、毎日5人揃っておつとめが勤められるようになっていました。

もちろんおばあちゃんの胸の苦しみも治まりました。

 

またある日、

 

「また胸が苦しいので…」

 

今度の心定めは

 

「お昼の神殿掃除」にしました。

 

おばあちゃんは一日3回も教会に来るようになりました。

 

おばあちゃんは本当に毎日勇んでいて、教会に来る事が増えたお陰で朝夕のおつとめの鳴りものはある程度出来るようになっていたし、また、御供えも来るたびにしてくれるしその額は毎回1,000円ずつという破格で、ボクとしては本当に色々な意味で助かっていました。

 

 

 

定めるものがなくなったから修養科行く?

一日3回の教会参拝が始まり、おばあちゃんとの信頼関係はますます良くなっていきました(と感じていました)。

 

それでもやはり、一定の期間が過ぎると胸の苦しさが再発するようで、ボクはここらで大きく定める必要があるのかなと感じるようになっていました。

 

一日に3回も教会に来て、鳴りものも勉強して、本人も勇んでいる。もう教会でやれることはないから、修養科を勧めることにしたんです。

 

しかし、これまでボクが提案する心定めに二つ返事で応えてくれていたのが、さすがに3ヶ月の修養科となると、即答は出来ませんでした。当然です。まだまだ元気とは言え、当時で76歳だったし、おぢばには一度しか行った事がない。年金暮らしだから修養科の費用を負担するのは厳しい。

 

不安しかありません。

 

でもボクは譲りません。これしか助かる方法がないと思い込んでましたから。

 

とにかく、毎日毎日このやりとりをしました。

 

「修養科に行くのを決めるまでおさづけは取り次ぎません」と突っぱねた事ももちろんありました。(ひどいね)

 

 

 

いざ修養科へ!

おばあちゃんの不安はもう一つありました。

そもそも家族が反対するんじゃないか? という不安でした。反対されるのが恐くて相談もできずにいました。

 

ある日、ボクとのやり取りで、ついに心を決め家族に相談しました。

 

あっさりオッケーでした。

 

「勝手に行ってきたら?」みたいな感じで逆に寂しかったみたいです。

 

費用も妹さんが工面してくれることになり、完全に環境が整い、ついに修養科に行ってくれる事になったのです。

 

 

 

教会長の立場を利用した「強制」「恐喝」

そのおばあちゃんはその後、修養科を元気に勤め終え帰ってきてくれました。

 

今回のような流れで、おばあちゃんは修養科だけでなく教人資格講習会にも行かせられましたが、不足する事なく元気に通ってくれました。

 

現在は、本人や家庭の都合で教会に来る事はかなわなくなりましたが、まだまだ元気で過ごしているようです。

 

 

1年目にボクが修養科を誕生させるためにやったことは、教会長という立場を利用した「強制」と「恐喝」まがいなやりとりで、行かざるを得ない状況に追い込んだということです。

 

これは本当にやってはいけないことです。若かったとは言え、本当に恥ずかしいエピソードです。

それ以来修養科生も講習生も誕生しておらず、おばあちゃんが最初で最後の修養科生となったのでした。

 

 

今日も一日陽気ぐらし!