天理教2.0になるためのコムヨシブログ

23歳で天理教の教会長に就任。 従来の布教活動を心から楽しめず、自暴自棄になる。 ブログという新しい可能性と出会い、新しい教会と信仰のあり方を模索。 お供えに依存しない教会を目指し、自分の才能を活かして自分の力で稼せぎ、のびのびと楽しい信仰のあり方や生き方である【天理教2.0】を自分のスタンダードにしたいと考えている。 青森県出身 天理高校卒 天理教語学院スペイン語コース卒 天理教コロンビア出張所にて2年間勤務。上級青年勤め後23歳で会長就任。既婚/子供3人/33歳

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お金のない世界でこそ天理教は輝けると信じている

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どうも!コムヨシです。

 

平和を望まない人はいません。幸せを望まない人もまた、いません。

最近、地震とか台風の被害が著しい日本ですが、災害は日本だけでなく世界中で起こっているはずです。災害だけでなく争いも。

 

平和を望まない人がいないのに、どうして世界は平和にならないのでしょう。

幸せを願わない人はいないのに、どうして幸せと感じる人が少ないのでしょう。

 

世界はお金に支配されすぎたのかもしれません。

 

今回はなぜボクがそう思ったのかをまとめてみようと思います。

 

 

世の中からお金をなくす

いつものようにTwitterを眺めていたら、ZOZOの前澤さんの投稿が目に入りました。

前澤さんがnoteに投稿している記事をシェアしたものでした。

 

その記事のタイトルは「僕が考える世界を平和にする方法」でした。

 

洋服屋の社長がずいぶん大きなテーマを語るんだな」とすごく興味をかき立てられたから読んでみました。

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ちょっと引用してみましょう

 

中略

さて、お金がなくなった世界を実際に想像してみましょう。

 

ある日、世界から突然お金が消えます。

 

全ての金融取引が停止され、人々や企業の講座残高が0になります。どんなに貯蓄があろうが、どんなに借金があろうが、全てチャラです。残るものは、今までの人間関係や信用です。

 

同時に全ての商品やサービスも無料になります。

 

自分の好きなものを、好きなだけ無料で手に入れることができるようになります。

 

スーパーから食品を持ち帰るのも、大好きなブランドの洋服を着て帰るのも、好みの広さと間取りの家に住むのも、すべて無料です。

 

さあ、どうでしょう。

 

引用元:僕が考える世界を平和にする方法|前澤友作

 

 あなたならどう思いますか?

 

お金がこの世からなくなり、同時に世の中にあるものすべてが無料になるんです。まるで夢みたいな世界ですが、本当に大丈夫なんでしょうか。

 

前澤さんは次のように続けています。

 

世界中が大パニックとなり、あらゆる転倒の商品棚から商品が消え、人々が我れ先にと商品やサービスを奪い合い、強奪や奪略が多発し、人々がお互いを傷つけ合う事態にまで発展するのでしょうか。

 

僕はそうなるとは思えません。

 

労働生産についてはどうでしょう。

 

働いても働かなくても無料で生活していけるなら、自分さえ良ければと、ただただ商品を消費し、人は働かなくなってしまうのでしょうか。

 

僕はそうなるとも思えません。

 

お金がない世界では、過剰な消費や、華美な贅沢をする人は、おそらく尊敬されません。まったく働かない人も同じく尊敬されないでしょう。

 

お金がない世界では、自分の好きなことや得意なことを仕事とし、人を喜ばせ感動させる人に感謝が集まります。また、本来仕事とはそうあるべきものだったことに多くの人が気づくはずです。

 

引用元:僕が考える世界を平和にする方法|前澤友作

 

「お金のために働く」のが当たり前の価値観として存在している中で、そのお金がなくなったら、人はなんのために働くのかを必然的に考えなくてはならなくなります。

 

そもそも、なぜお金のために働くのかというと、暮らしに必要なものをお金でしか交換できないシステムになっているからなんですね。

 

生活するためにはお金が必要。

 

でも、そのお金が生活に歪みを生じさせているというのです。

 

お金のためではなく、人のため、社会のために働く。しかも自分の得意なことや好きなことを仕事にして。

 

 

 

お金のいらない国

前澤さんのnoteを読んでいたら、関連記事に「お金のいらない国」というタイトルの記事がありました。

 

長島龍人さんが書いた「お金のいらない国」という書籍の一部を抜粋した記事でした。

 

あきらかに、前澤さんがイメージしている世界観のモデルが描かれていました。一部分しか読んでませんが、とても素敵なお話だと思いました。

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物語は、現代人が〝お金がいらない国〟に迷い込んだ設定で始まります。

 

主人公は、その国の謎の紳士に色々な場所を案内してもらいますが、コーヒーを飲んでも、高級な料理を食べてもすべて無料なことに不信感を覚えつつも、とりあえず謎の紳士についていきます。

 

主人公は思い切って、この国でのお金について謎の紳士に質問をぶつけますが、それにたいする紳士の答えがとても興味深いのです。

中略

「少なくとも私は、お金というものは知りませんし、聞いたこともありません。それは一体、どんな物なのですか」


「この汚れた紙きれと金属の破片が、一体どういう役に立つのですか」

「要するにあなたの国では、お金というものがないと、人々が欲望をコントロールできないというわけですか」

「皆が遊んでばかりいたら、何も手に入らなくなってしまいますよ。物を作る人も、与える人もいなくなるわけですから」

「この国にはそういう人(働かなない人)は居りませんし、この国に、そういう人は住めないようになっております。それにあなたは、そのお金というものと働くということを堅く結びつけて考え過ぎている気がします。仕事は社会への奉仕ですから、世のため、人のため、ひいては自分のために、皆で働かなければ世の中は回っていきません。あなたの言うお金がもらえなくてもです。そしてあなたが生活に必要なものはお金など払わなくても、社会から奉仕してもらえばいいのです。事実、この国はそういうシステムになっております」

「この国では、欲しいと思ったものは、すぐにでも手に入れることができますよ」

「この国では、働けない体の人には、みな喜んで何でも差し上げますよ。あなたの国ではそういう人でもお金というものを持っていなければ、何も手に入れられないのですか」


「勿論、そんな人(泥棒)はいませんが、たとえいたとしても私の持ち物など取ってどうしようというのですか。大抵の物はお店で新品が手に入るのですよ。私が手で作ったものを欲しいと言われるのなら、差し上げられるものは差し上げますし…」

「要するに、そのお金というものに関連して生まれる業務、あるいは直接お金を扱う仕事に携わっている人は、お金がなかったとしたら、仕事がなくなってしまうではないかということですね」

「私の想像では、あなたの国は、そのお金というものを動かさなければならないために、ものすごい時間と労力のロスをしている気がします。言い換えれば、不必要なもののために、無駄な仕事を増やしているということです」

「…あなたの国でもこの紙きれや金属を食べたり、直接何かに使ったりしている人はいないわけでしょう。要するにこのお金というものは、物の価値を皆が共通して認識するための物差しでしかないわけです。ですから、例えば今あなたの国で、このお金が一斉にパッと消えてしまったとしても、皆そのまま仕事を続けていけば世の中は回っていくはずなのですよ。それに、ちょっと想像してみてください。あなたの国の、お金を扱う仕事に携わっている人が、その業務から一切解放された時のことを。そして、お金を動かすために使っていた時間や労力をもっと世の中のためになる仕事に向けたら…いや、勿論お金の存在する社会においては、そういう仕事が大切なのは分かるんですが、もしそうしたら、ずっとずっと社会は豊かになると思いませんか。いいですか。あなたの国では現在、お金に関わっている仕事の人が全員、その仕事をやめてしまったとしても、皆ちゃんと暮らして行けるだけの豊かさは既にあるのです。そんな、言ってみれば無駄なことに時間や労力を使っていたにも拘らず、あなたの国はやってこられたわけですから。ですから、そういう仕事にかけていた時間や労力を、もっと社会の役に立つ仕事に向ければ、あなたの国の人々の生活はもっと豊かになるはずです

「…確かに今すぐは無理でしょうね。私が思うには、あなた方は、まだそこまで魂が進化していません。でも、いずれ私たちのような国が作れるかも知れませんよ。気が遠くなる程、先の話でしょうけれど」

多分、そのお金というものを得ることが仕事の目的だと皆が思っているうちは、あなたの国の、真の意味での進歩はないでしょうね。仕事の目的は世の中の役に立つことです。報酬ではありません。報酬を目的にしていると、必ずどこかに歪みが生じてきます。自分の行なった仕事以上の報酬を得ようとしたり、必要のない仕事を無理に作って、自分の利益だけは確保しようとする動きが出てくるでしょう。そうなると、完全な競争社会になります。それもお互いの向上を目的としたものではない、単なる足の引っ張り合いになるはずです」

「あなたの今やっている仕事が、本当に価値のあるものかどうかを判断する、簡単な方法をお教えしましょう。仮に、社会からお金というものがなくなり、その仕事によって報酬を得られないとしても、自分がその仕事をすべきだと思うかどうかです

 

引用元:お金のいらない国(長島龍人さん著)|前澤友作

 

いかがでしょうか。少なくともボクはとても共感します。

 

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この記事でも書いたけど、神様は人間の魂のレベルに見合った世界にして下さるわけだけだから、〝お金のいらない国〟が実現できないことの理由が「魂が進化していない」からだというのは、すごく納得です。

 


お金のいらない国

 

 

 

 

お金がなくなれば真心のお供えの本質を捉えられるか

いまや天理教とお金は切っても切れないほど強い関係で結びついています。

 

同時に、そのお金の問題によって天理教から離れていった人が多いことを考えると、その結びつきは良い方にも悪い方にも絶大な力を誇示してきました。

 

良い方というと誤解を招きそうですが、「お金をお供えして助かった」と感じていたり、信じている方も多数いらっしゃるわけで、そこを否定するつもりはないし、お金によって誰かの命や心が助かったのも事実であることを考えると、良いことも少なからずあったと思います。

 

問題なのは、お金をお供えするという行為が、あたかも教理として説かれているかのようになっていることです。

 

大切なのはあくまでも真心のお供えであって、物や金ではないはずです。

 

でも前にも言った通り、魂のレベルというものがあって、それに見合った生活レベルというものが展開されてきたわけですね。

 

であれば、世の中がお金を重視していた時代は、「自分の真心を表現する手段」としてお金がわかりやすく手っ取り早いシステムだったかもしれません。

 

でも、いま明らかにお金に対する価値観が変わってきています。

 

お金はもちろん必要です。でもいずれお金はその役割を終える時が来るだろうし、来なければいけない。だってその方が豊かな世界になれるから。

 

その時、天理教は相も変わらず「お尽くしをせよ!」などと言って高々と拳を突き上げるのでしょうか。

 

ボクはおふでさき、おさしづ、みかぐらうた、天理教教典を読んでも、どうしたら陽気ぐらしができるようになるのか正直言ってわかりません。

 

おやさまの教えは素晴らしいと思うんだけど、どう体現したらいいのか本当にわからないんです。自分の生活とどうやって結びつけたらいいのか未だにわかりません。

 

天理教の教えってどんな教えですかって聞かれても、上手く答えられません。

 

じゃあボクは信仰していないんでしょうか。

 

自信はないけど、とにかく世の中のためになるような、誰かのためになるようなこと意識して行動しているつもりです。でもそれが信仰と呼べるのかどうかはよくわかりません。

 

それよりも、ホリエモンとかキンコン西野さんとか、今回の前澤さんを始めとしたいわゆるインフルエンサーの言葉から学ぶことの方が圧倒的に多いですよ。

彼らの言葉は具体的で、体験としての裏付けがあるから説得力があります。

 

ちょっと話がそれたけど、天理教よりも世の中の人の方が真剣に世の中を良くしようと努力してるって感じるんです。

 

前澤さんが考える「世界を平和にする方法」としてモデルになっている「お金のいらない国」は、完全に天理教が目指している陽気ぐらしの姿だと思います。ここまで具体的に陽気ぐらしの世界を表現できた人が天理教の中にいたんでしょうか。

 

数日後に大教会の120周年があるんだけど、なんか本当に無駄な時間を過ごしているなって感じちゃいます。

 

世界を平和にすることよりも、本部から来る先生方に、全力で忖度することの方が大事だ、ということしか伝わってこないのがとても残念です。

 

あーいかんいかん。愚痴で終わるとこだった。せっかくいい記事書いたのに台無し。

ということでカッコ良く締めましょう。

 

 

せーの、早くお金がなくなればいいのに。

 

 

今日も一日陽気ぐらし!