天理教2.0になるためのコムヨシブログ

23歳で天理教の教会長に就任。 従来の布教活動を心から楽しめず、自暴自棄になる。 ブログという新しい可能性と出会い、新しい教会と信仰のあり方を模索。 お供えに依存しない教会を目指し、自分の才能を活かして自分の力で稼せぎ、のびのびと楽しい信仰のあり方や生き方である【天理教2.0】を自分のスタンダードにしたいと考えている。 青森県出身 天理高校卒 天理教語学院スペイン語コース卒 天理教コロンビア出張所にて2年間勤務。上級青年勤め後23歳で会長就任。既婚/子供3人/33歳

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子どもの行動は親の愛情のバロメーターだと思った話

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どうも!コムヨシです。

 

子どもが3人いるのでそれなりに賑やかな我が家です。子どもってとにかく本能のままに行動しているから、手を焼くことも日常茶飯事です。

 

自分の子どもが誰かのものを盗んだり、親のお金を盗んだりしたとき、親であるアナタは子どもに対してどんな接し方をしますか?

 

子どもが悪いことをした時、叱る前にやってほしいことをまとめてみようと思います。

 

悪いことだと自覚していてもやってしまう

これはボクの子どもの話ではないんだけど、とても印象的な場面だったからちょっと紹介します。

 

月次祭での話。

 

ボクが会長を務める教会は、多い時でも大人5〜6人で少ない時は3〜4人でおつとめを勤めているんだけど、日曜日とかだと子どもが最大で6人とかになって、大人の数を上回ってしまうことがあり、上段で鬼ごっこを始めたり鳴り物をおもちゃにされたり、でもこっちはおつとめしてるから叱るわけにもいかない、みたいな状況でイライラしながら喜び勇んでおつとめをしています。

 

最近はあまりそういうケースは減ってきたんだけど、こないだは大人4人、子ども2人という状況でお勤めをしていました。

 

子ども2人のうち1人はウチの3番目の子どもで約1歳半。もう1人は信者さんの孫で保育園をサボってまで参拝に来てくれたもうすぐ4歳になる男の子。

 

その男の子の行動が朝から気になっていました。

 

ここに来る子ども達は客間にお菓子があるのを知っていて、いつもおつとめ終了後に上級の先生からお菓子をもらいに行くのが習慣になっていました。

 

でもその日は、上級からはどなたも来られていなくて、客間には誰もいませんでした。ボクはじめ他の大人はおつとめぎに着替えていたり、準備をして手が離せないような状態でした。

 

たまたまボクが着替えをしていた時に、男の子の姿が目に入ったんだけど、お菓子を背中に隠していそいそと客間から逃げて行くところでした。

 

表情というか目の様子というか、4歳でもうあんな表情になるかっていうくらい、罪悪感のような、大人の目から隠れるような、それは子ども特有のイタズラ顔ではなく、明らかに悪いことだと自覚をしている表情でした。

 

その後、上級の奥さんが来られておつとめが始まりました。

 

子どもたちは参拝場で走り回ったりおもちゃで遊んだりしていました。

 

おつとめが終わる頃になって突然、男の子が賽銭箱に入っていたお金を自分のポケットに入れたのです。

 

おつとめが終わり、男の子のおばあさんがやさしく叱り、お金をもとの場所に返すよう促しました。でも男の子は頑として聞く耳をもちません。

 

そこに上級の奥さんが輪をかけて男の子をしつこく叱りつけ、まくしたてます。

 

「それはお前のお金じゃない!」

「それは悪いことなんだ!」

「早く戻しなさい!」

 

決して間違ったことを言っているわけではないけど、ボクはなんとなく、そんな言葉ではこの子の気持ちは晴れないし、救われないって感じました。

 

 

 

人のお金やモノを盗むのは満たされない感情をごまかすためだと思う

実はボクは小学校2年生くらいの頃、親のお金を盗んだり、近所のスーパーでお菓子やおもちゃを万引きしていました。

 

だから、盗む子どもの気持ちはなんとなくわかる気がするんです。

もちろん正当化するつもりは全くないし、いけないことはいけないと教えなきゃいけない。ボクも親に見つかる度に平手打ちをくらってこっぴどく叱られました。

 

でも、それで盗むクセがなくなったかと言えば全くそんなことはなくて、何日かたって欲しいものがあったりすると、万引きをするか親のお金を盗むかどっちかをやっていました。

 

叱られても直らないんです。というか直せないんです。

 

ボクが今大人になって思うのは、盗むとかに関わらず、子どものイレギュラーな行動って親の愛情を十分に受けていないからだと思うんです。

 

愛情って形はないけど、それによって満たされる幸福感が必ずあると思うんです。

 

その幸福感は愛情でしか満たされないんだけど、でも幸福感は感じたいし満たされたいから、なんとかしてその幸福感を満たそうとするんです。

 

それがお金を得る行為だったり、欲しいものを買うっていう行為だったりするんですよね。

 

子どもの場合、自分の欲しいものを自分の力で買うことは不可能なわけで、どうしても大人の力が必要になります。

 

でもその大人が自分に力を貸してくれない。

 

だったら盗るしかないわけです。

 

盗んだお金でおもちゃやお菓子を買って、瞬間的な満足感は得られるんだけど、手に入ったと思った幸福感は1ミリも手に入っていないんです。でも子どもはそれがなんでなのかわかりません。

 

だから満たされるまで繰り返すんです。そしてそれは永遠に満たされることはないんです。

 

ボクはそんな幼少時代の経験を思い出しながら、目の前で大人に叱られ続けているその男の子を見守りながら、叱られ終わるのをまってこう言いました。

 

「お金が欲しかったらいつでも会長さんのとこにおいで」

 

「その代わり、勝手に人のお金をとっちゃダメだよ。欲しくなったら会長さんのとこに来なさい」

 

そして賽銭箱に入っていた小銭を手に持たせてあげました。

 

 

 

子どもを叱る前に愛情を与えられているかチェックしようよ

よくよく話を聞いたら、男の子は前日、母親と遊びに出かける約束をしていたらしいんだけど、その約束をすっぽかされて一晩中ないていたらしいんです。

 

おそらく朝になっても虫の居所が悪かったんでしょう。保育園も頑に拒否し、おばあさんに連れられて教会に参拝に来たのだと言います。

 

その裏話を聞いてなおさらボクは、こんな訳の分からない小さい子どものウチだからこそ、心の中を愛情で一杯にしてあげたいって強く思います。

 

いつまでも子どもでいてくれる訳じゃないんだし、いつまでも甘えてくれるわけじゃない。多少のお金はかかるかもしれないけど、それをケチって性格を歪めてしまったり、人や世の中に迷惑をかけるような大人に成長するくらいなら、安い投資のはずです。

 

もちろんお金だけでは与えられないことの方が多いです。

 

欲しいものやお金を与えたから幸福感が得られるわけでもないでしょう。大事なのは「いつでもあなたの見方だよ」ということを子どもの心に伝えることです。

 

「甘やかすのはよくない」

 

という考え方もあると思いますが、確かによくないと思うけど、大事なのは人の役に立てる人間になれるかどうかだと思うんです。

 

人の役に立てる人間って、結局、心の痛みに気づける人、寄り添える人だと思うんです。

それさえできる人間に育つなら子どものころは多少甘やかすくらいでいいと思う。

 

彼にもそんな素敵な大人になってほしいと思います。

 

 

今日も一日陽気ぐらし!