天理教2.0になるためのコムヨシブログ

23歳で天理教の教会長に就任。 従来の布教活動を心から楽しめず、自暴自棄になる。 ブログという新しい可能性と出会い、新しい教会と信仰のあり方を模索。 お供えに依存しない教会を目指し、自分の才能を活かして自分の力で稼せぎ、のびのびと楽しい信仰のあり方や生き方である【天理教2.0】を自分のスタンダードにしたいと考えている。 青森県出身 天理高校卒 天理教語学院スペイン語コース卒 天理教コロンビア出張所にて2年間勤務。上級青年勤め後23歳で会長就任。既婚/子供3人/33歳

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破壊こそが成長するために絶対必要なアクション

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ども!コムヨシです!

 

天理教青年会が創立100周年を迎えましたね。

 

100年に一度の記念すべきイベントを一目見ようと、おぢばはたくさんの人で溢れかえっていました。まさにごった返し。素晴らしいことですね。

 

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それに先立って、ボクが属している大教会は創立120周年を迎えました。

 

「打ち上げ花火で終わってはいけない」

 

記念祭とかが終わるとこの言葉をよく聞くけど、打ち上げ花火で終わらせないためには具体的にどうしたらいいんでしょう。

 

ボクなりにその辺のことをまとめてみようと思います。

 

 

打ち上げ花火で終わってしまう現実

そもそも「打ち上げ花火で終わってはいけない」っていう言葉がでてくるということは、打ち上げ花火で終わってしまっている現実があるからではないでしょうか。

 

でも正直なところ、打ち上げ花火で終わってしまっている状態と、終わっていない状態の差を具体的に示してもらったことはありません。

 

よく聞くのは「打ち上げ花火で終わらせないために、継続的な活動を…云々」という台詞がたいていの場合続きます。

 

もちろん継続することが大前提なわけだけど、問題なのは何を継続させていくかでしょう。

 

そこがはっきりしないまま、あるいは、はっきりさせないまま、なんとなく次の記念祭を迎えてしまっている気がします。

 

結局、なにを継続してきたんだろうかと自問しているうちに別の花火が打ち上がってしまっているって感じです。

 

やっぱり打ち上げ花火で終わってしまっているんです。

 

もっと言うと、記念祭を勤めることと「打ち上げ花火で終わってはいけない」っていう単語がいつのまにかセットになってしまっていて、単なる飾り言葉になってしまっています。

 

これではせっかくの記念祭がもったいないですよね。せっかく多勢の力を結集して開催しているんです。お金だって莫大にかかっています。

 

どうしたらいいんでしょうか。

 

ボクが提案するのは、「白紙に戻って一より始める」です。

 

 

「白紙に戻って一より始める」は100年スパンじゃなくて、常に考えなければならない思考形態

「白紙に戻って一より始める」と聞いて、「なんだ、そんなことか」って思ってる人がほとんどでしょう。

 

でもボクが思うに、白紙に戻れていないから打ち上げ花火で終わってしまってるんだと思います。

 

白紙に戻るって言うことが叫ばれるようになったのは、教祖100年祭に向けての諭達の中のお言葉だったと思います。

 

百年は十年を十度繰り返して過した年月の重さを物 語る。百という字の意は、白紙に戻り一より始めるを謂う

 

引用元:諭達第3号

 

念のため、おさしづアプリで「白紙に戻り一より始める」を検索してみましたが、ヒットしなかったので、当時の真柱の悟りからくる言葉なんだと思います。

 

ボクはこの悟りがとても素晴らしいと思っていて、100周年の記念祭だけでなく、この考え方を日常から体現していくことがとても大切なんじゃないかって感じています。

 

原点に立ち返り、未来の自分を作り、今を生きる

原点に立ち返るっていうことだけで考えると、似たような言葉で「元一日」っていう言葉が浮かびます。

 

このお言葉は、おさしづアプリで3件ヒットしました。あえて引用はしませんが、「天理教が始まった日」または「始まるまでの道のり」個人レベルでいうと「入信の動機」といったところでしょうか。

 

「白紙に戻る」と「元一日」は同じような意味にとらえがちですが、ボクは少し違うニュアンスで捉えています。

 

かなりざっくり言うと、「元一日」は初心を忘れない的な感じ。

 

「白紙に戻る」は初心に戻りつつ、今日まで積み重ねてきたものを全部ぶっ壊して、本質に返る、ゼロにするっていう感じで捉えています。

 

「一より始める」と言葉は続きます。一から始めるためにはゼロにする必要がありますよね。10まで積み重ねてきたものを残しながら1から始めるなんてことはありえません。

 

今風の言葉でいうと、アップデートするっていうことになるんじゃないかと思っています。

 

アップデートって、ちょっとずつ足し算していくっていうことではなくて、本質の部分をその時代時代に、最適化させている状態だと思うんです。体制を見直すっていう作業とでも言いましょうか。

 

だから、不要なものは消去するし、大幅なデザイン変更することもあるでしょう。

 

大事なことは、本質の展開方法がその時代にコミットしているのかっていうことを、常に検証しておくことだと思うんです。

 

だから、ボクは元一日に立ち返るのと同時に、常に白紙に戻る覚悟、最終的にはどうなっていたいのかという未来を見据え、その未来に向けて今すべきことを丁寧に行うことがとっても大事だと思うんです。

 

具体的にいうと、

 

「本当にこれでいいのか?もっと良い方法はないか?」と疑問を持ち続けることでしょう。

 

疑問をもたなくなった瞬間に、思考停止になり、形だけの伝承が繰り返されることになります。それが打ち上げ花火の導火線になるのです。

 

「一旦ゼロにする」をAppleから学ぶ

Appleが新製品を発表しましたが、これまでになかったまったく新しい製品を発表することはあまりなく、そのほとんどが既成商品のアップデートやアップグレード品です。

 

Appleがパソコン、タブレットスマホ、腕時計などと言った製品をを最終的にどういったところにもっていきたいのかは分かりませんが、明らかに未来的な意図をもってそこに向かっているのはわかります。

 

自分達が理想とする未来を常に描き続け、そこに近づく努力を常に行っているということでしょう。

 

スマホの先駆けとなったiPhoneは、すでに商品として存在していたiPodが起点になっています。

 

iPodに電話の機能をかけ算するという発想は、iPodをもっと売れる商品にしたい!というよりは、iPodを使って世の中を更に豊かにするにはどうしたらいいか?という発想から生まれているような気がします。(もちろん勝手な推測です)

 

iPodという商品を限界までブラッシュアップするという発想だと、iPod nanoとかが限界でしょう。今のところ。

 

でも、ブラッシュアップするという発想ではなく、豊かなライフスタイルを提案するためには、iPodをゼロからデザインし直す必要があるはずです。

 

とんでもないアイデアや発想は、「一旦ゼロにする」という作業がどうしても必要なことがよくわかります。

 

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人間も必ずゼロに戻る

「白紙に戻る」という言葉と関連して、もう1つ大事なポイントがあります。

それは、人間創造の「元はじまり」のお話に出てくる「出直し」に関する一節です。

 

先に引用を掲載しますね。

 

中略

最初に産みおろされたものは、一様に五分であったが、五分五分と成人して、九十九年経って三寸になった時、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも、身を隠された。
しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみことは、更に元の子数を宿し込み、十月経って、これを産みおろされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経って三寸五分まで成人して、皆出直した。
そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経って四寸まで成人した。
その時、母親なるいざなみのみことは、
これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と仰せられ、にっこり笑うて身を隠された。そして、子等も、その後を慕うて残らず出直してしもうた。

 

引用元:天理教教典第三章「元の理」

 

このお話は、人間がどうやって人間に進化してきたかを知るための大事なお話ですが、

キーワードは赤字にしている部分です。

 

五分という大きさで生まれて99年経って、みんな死んじゃうわけだけど、もう一度生まれかわってきます。

前回、三寸五分まで成長したから、今回は三寸五分からスタートしたいところだけど、最初はやっぱり五分スタートなわけです。

 

今回も同じく99年たってみんな死んじゃうけど、前回と違うのは、前回より五分大きくなって死んだっていうこと。

 

前回よりも成長スピードが上がってるっていうことですね。

 

ここで言いたいのは、成長するためにはどうしても一旦ゼロから出発する必要があるっていうことです。

 

せっかく積み上げてきたものを全部ぶっ壊してゼロに戻すって言うのは、とっても勇気が必要だけど、そうやってボク等人間は成長してきてるんです。ほんのちょっとずつ。今は身体的な成長というよりは精神面の成長に突入していると思いますが。

 

で、ここでもう1つ注目して欲しいのが、引用の最後の一節。

 

「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」

 

完全に未来を知ってる人にしか言えない言葉です。知ってるというか、そうするって決めてる人じゃないと言えない言葉だと思うんです。

 

だから、この気の遠くなるような成長スピードだとしても、しっかりと未来を見据えていれば(もしくは見据える努力)、ゼロに戻ることは決して無謀なことではないとわかるだろうし、むしろゼロに戻らなければ逆に成長できないんだということがわかると思います。

 

 

陽気ぐらしという未来を見据えれたら勝ち

ゼロに戻る作業と未来を見据える作業は、二つでセットなのでどちらかだけやっておけばいいというものではありません。

 

でも、同時進行するのはかなり高度な技術だと思うので、やりやすい方から始めるのがいいかもしれません。

 

何も思いつかない人は自分が理想とする人のマネをしてみるのもいいかもしれません。だからといって、その人の思想を鵜呑みにし、自分で考えることを怠ってしまっては思考停止と変わらないので、とにかく常に自分の頭で考えるクセを身につけましょう。

 

ゼロに戻ったその先に、やっぱり自分が続けてきたやり方が一番合っているというなら、それを磨けばいいんです。必ずしもこれまでと違うことをする必要はないと思います。

 

知らないうちに苦痛になっていないか、やらされていないか、思い込んでいないか、それらを常に検証して、自分が楽しくワクワクできることならその方向で間違っていないと思います。

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自分が目指すべき未来が見つかれば、自分の陽気ぐらしが見つかったのとほぼ同じです。そうすれば、ゼロに戻るのは何も恐くない。そうすれば後はこのルーティンを繰り返すだけだから、どんどん成長することができるでしょう。

 

早く自分の未来が見つかるといいですね。ボクも早く見つけたいです。

 

一緒に豊かな世の中を目指して成人していきましょう!

 

 

今日も一日陽気ぐらし!