天理教2.0になるためのコムヨシブログ

23歳で天理教の教会長に就任。 従来の布教活動を心から楽しめず、自暴自棄になる。 ブログという新しい可能性と出会い、新しい教会と信仰のあり方を模索。 お供えに依存しない教会を目指し、自分の才能を活かして自分の力で稼せぎ、のびのびと楽しい信仰のあり方や生き方である【天理教2.0】を自分のスタンダードにしたいと考えている。 青森県出身 天理高校卒 天理教語学院スペイン語コース卒 天理教コロンビア出張所にて2年間勤務。上級青年勤め後23歳で会長就任。既婚/子供3人/33歳

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【教会の敷居が高い問題】教会の敷居が2種類あるって知ってた?

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ども!コムヨシです!

 

P・ドラッガーの「非営利組織の経営」を読んでからと言うもの(まだ読了してない…)、教会を非営利組織という観点で眺めながら、抱えている問題や取り組むべき課題が少しずつ浮き上がってきていると感じています。

 

この本を読んでからすでに2つの記事を投入していますが、簡単に振り返ってみると、

  • 教会は非営利組織である
  • 組織はミッションに始まりミッションに終わる
  • 現在の教会にはミッションがない
  • 天理教を安心してやる」という教会設置のミッション達成された
  • 教会のミッションを見つける前に自分のミッションを見つけよう
  • 自分のミッションは「やりたいこと」ベースでスタートすべき

 

という感じでまとめています。

詳しくご覧になりたいかたはこちらからどうぞ。

 

www.com-yoshi.space

 

 

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今回は、ミッション遂行に向けて小さく動き出そうとしているコムヨシの前に立ちはだかっている問題を取り上げてみます。

 

その問題とは「教会の敷居が高い問題」です。

 

 

教会の敷居は2種類

先日、教会の仲間たちとグループLINEで今後の教会活動について建設的な議論を交わしていたんですが、具体的なアイデアがまとまってきたところで、こんな意見が出てきました。

 

いきなり地域交流をうたっても難しいのは想像がつくと思うんだけど、

  1. まずは教会の敷居をさげる
  2. 信者さん方に寄りやすい雰囲気を作る
  3. 信者さんたち同士の交流、絆が深まってくる
  4. 新たな可能性(企画等)が出てくる
  5. 地域への開放
  6. 信頼獲得
  7. 宗教に対する不信感の払拭
  8. 新たな教会の形

みたいな段階を踏むことが大切じゃない?

 

ボクが提案した「教会のムダなスペースを開放する」というアイデアに対して、概ね賛同はしてくれたものの、そこへたどり着くまでの段階が大切なんじゃないかという議論をしてくれました。

 

この発言がきっかけとなり、「教会の敷居」という問題に関して議論を深めることになりました。

 

確かに教会の敷居は低くありません。

 

というか、教会の敷居って何?

 

今まで深く考えても見なかったけど、よくよく考えたら「教会の敷居」は2種類あることに気づいたんです。

 

(1)既存の信者さんが感じている「教会の敷居」

まずは1種類目の「敷居」。

グループLINEで発言してくれた「教会の敷居を下げる」という「敷居」もこれに該当すると思います。

 

この敷居の正体が何かというと、

  • 教会長(とその家族)と信者さんの間にある隔たり

のことです。

 

この「隔たり」に関しては、あると感じている人もいればあまり気にならない人もいるかもしれません。あるいはその隔たりが存在しない素敵な教会もあるかもしれません。

 

少なくともウチの教会にはあるし、隔たりがない教会はボクの周りにはほとんど見当たりません。天理教の教会が抱える課題の一つと言えるかもしれませんね。

 

LINEの発言では、まずは何よりもこの「敷居」を下げることがスタートだとしていますが、他のメンバーも概ね賛同しているようでした。

 

確かにボクもそう感じていました。今までは。

 

LINEの発言の中に1〜8の段階が記されていますが、ボクはこの段階が2つに分けられるのではないかと感じました。

 

1〜4と5〜8。

 

この区別をすることによって、教会が抱える「敷居問題」が1つではなく2つあるということに気づくことができました。

 

では5〜8はどんな敷居か。もうお分かりですね。

 

(2)天理教と関わりのない非信者にとっての「天理教の敷居」

なぜ、「4 新たな可能性が出てくる」と「5 地域への開放」で分けてしまったのか。

 

いくら既存の信者同士の絆が深まったからといって、地域への開放にはどうしても繋がらないと常々感じていました。もちろんゼロではないですよ。

 

既存の信者さんにとって教会は特別な環境というよりは、わりと身近な環境になっていると思います。

つまり天理教に対する敷居がないんです。

 

知らない人からすると、何教だろうが宗教は宗教だからね! 

 

この言葉が全てなんです。

 

4と5をつなげようとすると、どうしてもそこに「天理教的な理由付け」が必要になってしまいます。

  • 教えに触れたい
  • 助けてもらいたい

これらの理由がない人にとって天理教の教会に行く理由があるでしょうか。

 

 

自分にとって都合の良い場所かどうかが全て

ハロウィンやクリスマス会を開催する中で、たしかに非信者の方に来ていただくことができました。

でもそれは、信者さん同士の絆が強くなったからではなくて、利用してくれた非信者の人にとって都合のよい環境が用意されていて、誘う側が誘いやすくなったということだと思うんです。誘う理由ができた。

 

天理教を知らない、教会に入ったことのない人にとって天理教の教会は未知の空間です。

でもそこに「都合のよい何かしらの環境」があれば少なくとも好奇心は生まれると思います。

例えば

  • 飲み会を開催→安く酒が飲める
  • ハロウィン開催→コスプレを大人数で楽しめる
  • バンドステージ→演奏機会がもてる、演奏を聞ける

 

「未知の空間」「知らない宗教」という問題よりも、「自分にとって都合のよい環境がない」ということの方が問題だったんです。

 

「都合のよい環境やコンテンツ」さえあれば、少なくとも「行ってみようかな」という選択肢が生まれます

今までは選択肢がなかった。

 

まとめると、

  1. 天理教関係者にとっての敷居=教会長(とその家族)との隔たり
  2. 非関係者にとっての敷居=教会にいく必要性&選択肢がない

ということになります。

 

 

ミッションがあれば「敷居」は勝手に下がる

この問題と取り組む中でボクが感じたのは、敷居と個別に向き合うことも大切ですが、「なぜそんな敷居が生まれてしまったのか」を考える必要があると思います。

 

ボクが出した答えは「ミッションがあれば全て解決する」です。

 

大げさな言い方かもしれませんが、ボクはそう感じています。

 

ミッションが明確に設定されていれば、「理の上下関係」という意味不明な関係性は勝手に薄れていくと思うんです。

 

ミッションがないからこそ、「教会内容充実」という先が見えないビジョンを掲げざるを得なくなるし、教会へ行くことが目的になってしまい、教会へ足しげく通わない信者を良しとしない雰囲気が生まれてしまうのだと思います。

 

ミッションがあれば、立場の違いはあっても、同じ目的を持ち活動していく同志として対等な関係をとることができるとボクは信じています。

 

そのミッションが世の中に何かしらの良い影響を与え、その活動に共感してくれる人が表れれば、誘わなくても勝手に訪ねてきてくれると思うんです。

 

「面接してください!」

 

っていう人が必ず来る。

 

ミッションをみつけ、世の中に大きく発信していけば「教会の敷居問題は」勝手になくなるとボクは信じています。

 

 

今日も一日陽気ぐらし!