天理教2.0になるためのコムヨシブログ

23歳で天理教の教会長に就任。 従来の布教活動を心から楽しめず、自暴自棄になる。 ブログという新しい可能性と出会い、新しい教会と信仰のあり方を模索。 お供えに依存しない教会を目指し、自分の才能を活かして自分の力で稼せぎ、のびのびと楽しい信仰のあり方や生き方である【天理教2.0】を自分のスタンダードにしたいと考えている。 青森県出身 天理高校卒 天理教語学院スペイン語コース卒 天理教コロンビア出張所にて2年間勤務。上級青年勤め後23歳で会長就任。既婚/子供3人/33歳

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かしもの・かりものが分解されてしまった理由|第3回コムヨシ布教所オンライン教理勉強会まとめ①

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ども!コムヨシです。

 

コムヨシ布教所というオンラインサロンを運営しています。

コムヨシ布教所では現在、2本のメイン企画を中心に活動を展開しています。

の2つ。

 

今年の4月にスタートした勉強会は本当に勉強になっていて、それに関する記事をいくつかまとめていますが、なかなか良い反響をいただいています。

 

www.com-yoshi.space

第1回からおかきさげを中心に勉強していますが、おかきさげの要点が

  • かしもの・かりもの
  • 誠の心

天理教の基本教理ともいえる「かしもの・かりもの」ですが、ある時を境に説かれ方に変化が起こったらしいのです。

 

今回の記事では、

  • 説かれ方が変わったタイミング
  • 説かれ方の変化

についての、勉強会の様子をまとめてみようと思います。

 

 

天理教教典刊行というターニングポイント

まず、結論からいうと、「かしもの・かりもの」の説かれ方は、

天理教教典刊行を機に大きく変化しているようです。

 

講師のヒサマツくんは「天理教校論叢36号」の中に掲載されている通称「村上論文」という論文を紹介してくれました。

ザックリ解説すると、

  • 村上さんは昭和20年代(20年〜29年)の「みちのとも」に掲載されている「かしもの・かりもの」に関する記事を全て読みました
  • それらの記事を比較し、「かしもの・かりもの」の説かれ方がいつ、どのように変化していったのかを研究

という内容です。

 論文の「はじめに」の中で、

昭20年代という期間に限定をするというのは、今日、「かしもの・かりもの」について理解しようとするとき、昭和24年に公刊された『天理教教典』の「第七章かしもの・かりもの」がその基準となるからである。

として、さらに

教義の規準となる復元の「天理教教典」が公刊される以前はどうであったのか。

と、問題提起をされています。

つまり、

  • かしもの・かりものの基準って教典の第七章だよね
  • 教典が出る前ってどんな感じだったんだろうね

という感じで出発している感じです。

 

では、教典公刊前はどのように説かれていたのでしょうか。

 

 

 

「この話しせんで、天理教が何の話するんや」|革新の時代

教典公刊以前、すなわち昭和24年以前は「革新の時代」と呼ばれていて、政府からの弾圧があり、本来の教えをそのまま信仰することが難しい時代でした。

昭和13年から始まっている「革新の時代」において、「かしもの・かりもの」はどのようにとかれていたのでしょうか。

 

村上論文に掲載されている資料から抜粋すると、

戦争中かしものかりものの話ができなかったという。しかしとめはそれに承服しかねた。

「この話しせんで、天理教がなんの話するんや。結構な神様のお話できんやったら、やめてしまえ」

と世間を恐れない意気と、旺盛な布教精神は晩年になっても、ついに衰えなかった。

(「みちのとも」昭和29年1月号P92)

 つまり、革新の時代(戦争中)は「かしもの・かりもの」を説けなかったらしいんですね。

 

 

革新の時代以前の「かしもの・かりもの」

天理教教典公刊以前、もっというと革新の時代以前の「かしもの・かりもの」はどのように説かれていたのか。

 

結論からいうと、

  • かしもの・かりもの
  • 八つのほこり
  • 身の内御守護の話(十柱の神、十全の守護)

これらが一つのものとして、セットで説かれていたそうなんです。

 

これについて、

天理教は万教の源であって世界に類なき教えである。今度の改革が泥海古記や御神楽歌の内容に日本の国体と相容れぬ点があるから廃止せよという事は判った話だが、十柱の神の御守護と八ツ埃を説くことが出来ぬというのは天理教の布教を廃めよと云うのと同じで、これが説けぬ理由が判らぬ。

天理教青年会史第4巻P283)

 という革新の時代を知るための資料があって、「十柱の神の御守護と八ツ埃を説くことが出来ぬ」という表現がありますが、つまり「かしもの・かりもの」は「十全の守護」と「八つのほこり」のことですよ、と言えるのだそうです。

 

天理教教典で教理を分解

教典公刊以前の「かしもの・かりもの」は

  • 十全の守護
  • 八つのほこり

がセットで教えられていたことがわかりました。

では、教典ではどのように「かしもの・かりもの」が説かれているのでしょうか。

  • 第4章「天理王命」
  • 第7章「かしものかりもの」

としてまとめられています。

 

これについて、

「人間身の内の・・・の守護の理」とあるところは、実を申しますと、「この神様のかりもの」というように書かれてあったのてありますけれども、ここで余りにかりものということを詳しく説きますと、あとの第七章と重複する嫌いもあり、ややこしくもなります所から、ここでは御覧の様な書振になっております。
(第13回教義講習会)

 

つまり、本来はセットで説かれるべきものを、あえて分解してまとめたわけですね。

 

本来、わけられるべきでないものを分けてしまったのは、教理をよりわかりやすく身近に理解するという目的があったようですが、いまとなっては余計混乱をまねく原因になっているのかもしれません。

 

ボク自身、十全の守護と八つのほこり、かしものかりものは、それぞれ別々の教理として理解していたし、でもだからこそ理解できなかったというのが本音です。

 

また、なんの資料だったかは覚えてませんが、元の理の図に、十全の守護や八つのほこりがセットになっている一覧表みたいなものがあって、なぜこんな関係になるのかが全く理解できなかったことがありました。

後日、十全の守護と八つのほこりはリンクしているというのを発見したわけですが、それによって教理理解が進んだ記憶があります。

そして天理教の教えってやっぱり面白いと思ったものです。

それが、なぜ当たり前のように説かれていないのか不思議でなりませんでした。

 

その理由を、今回の勉強会で知る事ができ納得することができました。

 

今回の勉強会は天理教教典を非難するためのものではなく、現在の教理理解の基準が教典にあるから、別々で説かれるようになっているんですよ、という経緯をしるためのものでした。

教典を編纂された先生方も、別々に分けたかったわけではなく、そうせざるを得ない背景があったんですね。

 

それに関しては別の機会で。

 

今日もかりものの体を使って、楽しくブログを書くことが出来ました。

明日も頑張って更新します。

それでは!

 

 

今日も一日陽気ぐらし!