それでもボクが天理教を続ける理由

どうも、クソ教会長のコムヨシです。

今回は、敬愛するヒサマツ氏が過激な記事を更新していたので、シェアしながら、ぼくの思うところをまとめてみようと思います。

aremocoremo.info

旦那が天理教、嫁が天理教、親が天理教

自分は信者でもなくて、「たまに教会に行ったり天理に行ったりしている」そんな人ってけっこういると思うんです。

そんな人がこの記事を読んだら

「天理教とはこれまで通り距離をおいていくぞ!」

と、強く決意されたことと思います。

それか、もっと距離をおこうと思われたかもしれません。

天理教という組織はそれくらい堕落してしまっています。

ボクを含め、クソ教会長があまりにも多すぎるんですね。

この記事では、クソ教会長だらけの堕落しきった天理教なのに、ボクが天理教を続ける理由をまとめてみようと思います。

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クソ教会長が増殖した理由

ところで、なぜこれほどまでに天理教は腐ってしまったのか、思いつくまま勝手に書き出してみると

  • 代を重ねるごとに信仰的な熱心さが薄くなった?
  • そもそも世襲制的なシステムが悪い?
  • 教理を知っている(つもり)だけの頭でっかち?
  • 封建制度による上下関係?
  • 天理教とお金?
  • 理の親問題?

まだまだいっぱいありそうですが、自分の心がなえてくるのでこの辺にしておきます。

クソ教会長が増殖している原因はたくさんあるわけですが、

それらの根源となっているのは、やはり現行の制度上の問題が大部分を占めているとボクは考えています。

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制度のせいにすると、なにやら卑怯な感じに聞こえるわけですが

ボクが知りうる限り、クソ教会長の枠に入る会長さんたちが決して怠けているわけではないとい思うんです。

みんなそれぞれ、自分の信じるところを精一杯つとめていると思うんです。

得意不得意は誰にでもあるわけで、布教が得意な会長さんもいれば、そうでない会長さんもいます。

人付き合いが上手な会長さんもいれば、むしろ関係をこじらせるのが上手な会長さんもやはりいます。

人間だもの。

ボクは教会長になって来年で10周年になります。

生まれ育った家庭の常識が自分の常識として身に付くように、教会生活や天理教観というものも、生まれ育った環境が自分の中の絶対的な軸として身に付いてしまいます。

生まれ育った環境というのは、つまりは親の姿なわけです。

親から教えられた事、または親の姿がそのまま自分の常識となります。

小さい頃は、親の姿や親から言われる事が正しいのか間違っているのかなんてわかるはずがありません。

教えられたこと、親の背中が全てなんです。

ボクも例に漏れず、親の言葉、親の背中を疑うことなく「教会とはこういうもんだ、天理教ってこういうもんだ」と思って育ちました。

それはボクだけでなく、ボクの親もそうだったと思うんですね。

そのまた親も、教えられたことを素直に実践してきたんだろうと思うんです。

なので、ボクが教会長になってからは、とにかく親のマネをしていればまちがいないと確信していたし、他に方法もわからなかったからとにかくそれをやるしかなかった。

ボクが推察するに、クソ教会長がクソ教会長である所以は、このスパイラルに気づいているか否かが大きなポイントだと思っています。

間違っているのか正しいかの判断もできないほど感覚が麻痺してしまっている。

つまり、自分は正しい事をしていると思い込んでいるんです。

信者がついて来ない理由を、自分のせいだと気づかず、信者の成人が鈍いと判断してしまうんです。

自分は正しい。なぜなら会長だから。

会長は色んな講習や研修を信者よりも受けている。

だから、自分の判断や考え方は間違っていない。

だから自分は正しい。

会長だもの。

継承していたのは〝カタチ〟だけだった

教会同士の上下関係だったり、教会内での会長と信者という上下関係は明治の頃に出来上がった制度だったり雰囲気だと思うんです。間違ってたらごめんなさい。

その制度や雰囲気が100年以上たった今でも続いているというのは、もしかしたら聞こえは良いかもしれません。老舗的な。

でも、どんな分野でも老舗と呼ばれる企業やお店は、伝統を守りながら、その時代に合わせたシステムを採用していってると思うんです。

ここで問題になるのは「伝統」のとらえ方なんですね。

伝統となるべきものは、創業時に抱いていた理念や信条です。

続けてきた単なる〝カタチ〟を伝統と捉え、時代のニーズから外れるような運営の仕方をしていると、結果は火を見るよりも明らかです。

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こんな当たり前のことに気づけない人なんていないと思っていたんですが、ボクの周りにはたくさんいます。

それが、クソ教会長です。

クソ教会長とはつまり、〝カタチ〟だけの継承を伝統と捉え、肝心な中身を受け取り損ねたばかりでなく、それに気づいても気づかないふりをして、自分は会長だから正しいと思い込み、そのスパイラルから抜け出せずにいる可哀想な人達なのです。

ある意味それは制度による被害者だとも思っています。

クソ教会長が全て悪いのではなく、制度自体がクソだから、生み出されるものもクソになってしまうっていうことなんです。(もちろん素晴らしい会長さんはたくさんいますよ。)

ボクは実家を離れ、親の姿を一歩引いたところで見る事ができたおかげで、そのスパイラルに気づく事ができましたが、まだまだ抜け出せていない部分がたくさんあるのだと思います。それは自分では気づけませんから。

だからボクはもっともっと、教会を大切に思ってくれる人達と心を通わせたいし、本音を聞きたいと思うんです。

みんなで一緒に教会のあるべき姿を思い描いていきたいと思っています。

その教会の姿は今まで誰もみたことのない景色だから、誰にも正解はわからないし、正解は一つじゃない。

そこに集まる人や、この集まりを大切に思う人によってその姿は自由に変えられるべきですよね。

この教会が何を大事にしていくのか、理念や信条はなんなのか、それを深く掘り下げ、話し合って行くことが大切なことではないでしょうか。

というわけで〝教会 DE クリスマス〟やります

クソ教会長は、古い教会制度から生まれた犠牲者であることに間違いはないのですが、それがわかったところで何の解決にもなりません。

教会制度に問題があるならば、教会制度を改革すべきです。

でも、ボクたち一般の教会長がいくら本部に文句を言ったところで何も変わりません。

上層部にいけばいくほど信者との価値観がずれていってるからです。

つまり文句をいっても理解してもらえないんですね。

そこにエネルギーを使うのはあまりにも勿体ない。

ならばどうするか。

  • 信仰のあるべき姿
  • 教会のあるべき姿

これらをゼロから考える必要があります。

これらを考えるとき、何を判断軸にするかということがポイントです。

もちろんそれが教理です。

教理とはつまり教祖のひながたですね。

これをまずはしっかりと学ぶ必要があります。

「あなた教」のように、個人の悟りが教理のように説かれるということは、教理の理解が不十分だからです。

ヒサマツ氏は、そのためにとても分かりやすいブログを展開してくれているのでボクも参考にしています。↓↓

あれもこれも | ダメダメようぼくが天理教の教えを解説したりするキワモノなブログ( `・ω・´)ノ

しかし、教理の理解が深まり判断軸ができただけでは、信仰や教会のあるべき姿を創造していくことは難しいでしょう。

信仰や教会のあるべき姿を創造していく作業は、教理を展開していく作業になります。

判断軸をもとに、何をしたいのか、どこへ向かいたいのかというイマジネーションが必要です。

でもそれは、だれも見た事がない景色なので一朝一夕に見つかるわけではないと思うんです。

なので、こういうのはどうだろうか、こうしたら誰か喜んでくれるだろうか、誰かの役に立つだろうかと、どんどんチャレンジしていくこと

つまり

アウトプットがとても大事だということですね。

そんな教会や信仰が増えれば、クソ教会長は絶対に生まれない。

ボクは、そのモデルになれるような教会を大切な仲間たちと作って行きたいと思っているんです。

というわけで、ボクは

「教会 DE クリスマス」

というカタチをアウトプットしてみようと思うんです。

前回の「教会 DE ハロウィン」に続いての「教会 DE ◯◯」シリーズです。

今回は神殿の隅に特設スナックをオープンしようと企んでいます。その名も

「スナック コムヨシいずむ」

です。

ワクワクしています。

まとめ

ボクは天理教の教えは、世界を輝かせる力があると確信しています。

でも、天理教という教団が変えるわけでもなければ

教えそのものも世界を変えるわけではないと思っています。

あくまでも、その教えを信じて実行する人間によってのみ変えらていくと思います。

無論、神様が世界を変えてくれるわけありません。

神様は世界を変える法則を教えてくれるだけです。

自分たちの世界は自分たちでなんとかするしかないんです。

ボクが天理教を愛してやまないのは

世界が変わるかどうかも

自分が変わるかどうかも

結局は自分の心一つだということ

人間の心一つだということなんです

ボクはこれが大好きなんです。

どれだけ時代が変わろうとも

便利な世の中になろうとも

人間の心によってすべてが決まる

神様はその心に見合った世界を、法則にのっとって表していく

「神」という言葉に隠された信仰者がはまる落とし穴
「神」という言葉を聞いた時、アナタはどんなイメージを膨らませますか?どうも、コムヨシです。神という言葉がいつ頃か...

これが面白い。

だからこそ神様は絶対存在していると思う。

世の中から争いが無くならないのは、それが今の人間の心遣いの平均値に見合った世界を表しているからだと思うんですね。(あくまでコムヨシ教の意見です)

それでも人間の心は間違いなく進化していると思う。

だから、絶対にこの世から争いもなくなると思う。

一日も早くそんな素敵な世界が訪れて欲しいから、一刻も早く世界中の人間が輝く日が訪れて欲しいから

ボクは今日も天理教を続けようと思うんです。

ボクと一緒に世界を輝かしましょう!

今日も一日陽気ぐらし!

コメント

  1. 奇形児 より:

    人のお金で生活しないで 自分で仕事して生活しなさいよ ありもしない奇跡で人を欺すのは 詐欺だよ 君はクソ教会長だね

  2. みみなし芳一 より:

    クソ教会長が増殖した理由? テメーが一番クソ教会長だろ 人間の屑 最低最悪人間 ごちゃごちゃ能書きたれてないで、普通に仕事しろ 人の金で生活してるんじゃないよ 世の中の害虫が何を言ってるの?

  3. ●●信者 より:

    何だか物騒なお名前の方々からのコメント。
    とりあえず、普通の信者も拝見していることをお伝えします。
    こちらへたどり着いたということは天理教内の人でしょうかね。このような方々は時々見かける、ネット上の教内関連書き込みにある、「何言ってるんだよ。」とばかりに本部へ物申す信者が憎くてたまらない感に溢れている関係者と同類なのかもしれませんね。もしかすると偉い人かな?と、思い当たる人物がいます。その人自身はネットリテラシーが低いせいか短文が特徴ですが、あくまでも想像です。
    感想が最後に回ってしまいました。
    『無論、神様が世界を変えてくれるわけありません。
    神様は世界を変える法則を教えてくれるだけです。』
    ウルッと来てしまいました。
    貴方の表現は真実です。
    そうなんですよね。
    ありがとうございます。

  4. 不細工メガネ男 より:

    ウルッと来てるんじゃねえよ… 人間の屑のくせに、どうして批判されるかよく考えた方がいいんじゃないの? 世間一般では通用しないよ。 

  5. 信者 より:

    自分の親を怨んでる奴が何を言っても駄目だと思います。
    貴方には、人の心が無いと思います。そんな人間に教会長の器が無く、全く人間的魅力がありません。 人の先頭に立つ人ではないと思います。もう少し世間一般の感覚を身につけた方がいいと思います。 

  6. たかひろ より:

    天理教は時代の流れに合わなくなってきてますよね、
    一度俯瞰で見るとそれとなく見える感じがしました!
    このままだと衰退は止まりません。でもそれこそなってくるのが天の理なんじゃないかな、と思います。心次第の言葉に共感します。おぢばは無くなることはないけど今の体制はもうしんどいですよね、
    教会長さん頑張ってください!

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