布教師という生き方を捨ててアナタだけの陽気ぐらしを見つける方法

天理教2.0

どうも、コムヨシです。

布教が出来なくて自分を責めてませんか?

今回は、布教が出来なくて困っている人、自分を責めてしまっている人が、どうすれば前向きに天理教を信仰していけるのかをまとめてみようと思います。

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サッカー部を辞める選択肢

ちょっと話はそれるんですが、ボクは小学校3年生の時に学校のサッカー部に入部しました。

それ以来、高校1年生の夏休みまで、サッカーを続けていました。

高1の夏に何があったのかは秘密ですが、ボクの中でサッカーを辞めるという選択肢はこれまでなかったので、そこに至るまでは本当に苦悩がありました。

苦悩というと大げさなんだけど、辞めるその日まで、ボクの中にはサッカーを辞めるっていう選択肢はなかったんです。その日まで。

サッカーを続けているのが当たり前で、それは大会で優勝したいとか、そういう目標があったからではなくて、サッカー部に所属していない自分を想像できなかったっていうことなんです。

でも、どうしてもサッカー部がイヤになってしまった。

初めて、「サッカーを辞める」という選択肢が自分の中に浮上してきたんです。

でも、その選択肢を全否定する自分もいるわけです。

その葛藤を経て、最終的にサッカー部をやめることにしました。

サッカー部をやめてからの時間は快適そのものでした。

最初はなぜこんなにも快適な気分なのか分かりませんでした。
練習が嫌いだったのか、疲れるのがイヤなのか、先輩との面倒なやりとりがイヤだったのか、そんなことくらいしか思いつきませんでした。

それは18年経過した今、ようやくわかりました。

「選択肢を得た喜び」だったんです。

ボクは、サッカーが好きで始めた部活生活だったけど、別にJリーガーになりたいわけではないし、全国大会に出場したいわけでもなかったんです。
ただ単にサッカーができればそれでいい、という「好き」だったんです。

だから、サッカー部を辞めてからも高校三年間は色んな場面でよくサッカーをしたし、色んな人を誘ってサッカーをしました。
日曜日の朝に寮の裏の小さなグラウンドで、塾対抗の試合を毎週のようにやっていたし、寮祭でもサッカーを種目に取り入れたりして、とにかく色んな場面でサッカーを楽しみました。

ボクにとってはそれが一番楽しくサッカーと触れ合える状態だったんだと思うんです。

サッカー部という環境でしか、サッカーを楽しめないと思い込んでいたから、サッカー部という環境を抜けて、ちょっと遠目にサッカーを見れるようになったんです。

もしもずっとサッカー部を続けていたら、ボクはサッカーそのものをキライになっていたかもしれないんです。

布教師を辞める選択肢

布教師に憧れて、教会復興に夢を託して始まった教会長生活だったけど、ボクは布教師というスタイルしか自分にはないと思い込んでいたんです。

布教師というくくりの中でしか天理教を信仰していく上での答えはないと思っていたし、答えはだせないと思っていました。そう思い込んでいたんですね。

約7年間くらいでしょうか、布教師であることに誇りをもちつつも、自分が理想とする布教師であれないことにイライラし、葛藤しながらの時間でした。

SNSを通じて、布教師というスタイル以外で、人に感動を与え、心の拠り所となり、陽気ぐらしを実践している高校の先輩を見つけたり、ヒサマツ氏のブログと出会って自分がそれまで感じていた違和感を言語化してくれたお陰で、布教師という生き方しかないと自分を縛ってきた鎖を外す事ができました。

布教師という生き方を辞めるという選択肢を得たんです。

サッカー部を辞めたときと同じような、爽快さがありました。

自分の信仰が自由を手に入れた瞬間でした。

同じ「サッカー好き」でも、見るのが好きな人もいれば、プレイするのが好きな人もいます。「得意」という人もそのレベルはピンからキリまでです。

布教師万歳だった頃のボクは、サッカーをキライな人に対しても、サッカーをすることを強要したり、挙げ句の果てには本田圭佑を目指すことが素晴らしいことであるかのように自分に言い聞かせ、周りの人にも説いていました。

でも、世の中には、サッカーだけではなく野球やバスケットを始め数多くのスポーツがあります。

そもそもスポーツそのものが苦手だと言う人も多勢います。
運動が苦手だと言う人に、本田圭佑を目指せというのはあまりにも理不尽であり、頓珍漢な話です。

科学が好きな人、商売が得意な人、言語が得意な人、ITが専門の人、色々な分野があり、自分が楽しく続けられる環境に身を置く事が一番大切な事じゃないかと思うんです。

いま、天理はじめ、様々なお道の講演会が行われているけど、弁士の多くは単独布教上がりだったり、絶賛布教中の人だったり、そういう人が圧倒的に多いと思うんです。

そういう雰囲気が続いているから、布教師こそ素晴らしいという考えがどうしても拭えなくなるし、そこにしか道がないという先入観を植え付けてしまいやすいと思います。

決して布教師を否定しているんではなくて、好きなことを仕事にしたり、得意な事でおたすけをするという生き方が当たり前になってくると、むしろ布教師という存在は希少価値が高くなってくるはずなんです。

布教師は絶対必要だし、なくなってはならない存在だとも思う。

問題なのは、布教師がスタンダードになりすぎているっていうことなんですね。

布教師は本当にやりたいことですか?

布教に出ることが憂鬱な人は、まずは自分がやりたいことが本当に布教師なのかということを自問自答してみることが大切だと思います。

自分が目指している世界は、本当に布教師という生き方でしか実現できないのかどうか、これをしっかり自問してみることをお勧めします。
大抵のものは布教師じゃなくても、むしろ現代においては布教師じゃない方がその世界は達成しやすいのかもしれません。

そして自分が楽しくできる信仰スタイル、陽気ぐらしの形はなんなのかを考えてみましょう。

答えは必ずアナタの中にあります。

ボクの心が自由なのも、アナタの心が自由なのも、それは神様からのプレゼントなんです。

アナタが好きになったその趣味は、神様からのプレゼントなんです。我慢しなくていいんです。

アナタの好きなこと、得意な事をとことん突き詰めるだけでいいんです。

「世の中のためにならないことをダラダラとやってる暇があったら、リーフレットの一枚でもポストにいれてこい!」

そんな声に負けないで下さい。

アナタが好きなことや得意なことを突き詰めるだけで、巡り巡ってあなたを必要としてくれる人が必ず寄ってきます。

ピンポンを押さなくても、チラシをもっていなくても、アナタが目指している世界に必要な人材は向こうからアナタを求めてやってくるんです。

そんな信仰スタイルがあったっていいじゃないですか。

もっともっと選択肢を増やしていきましょうよ。

世界はアナタのその一歩を待っています。

今日も一日陽気ぐらし!

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