〝常識〟という洗脳を解除してアナタだけの自由な信仰を手に入れよう

ども!コムヨシです。

ホリエモンの著書「すべての教育は洗脳である〜21世紀の脱・学校論〜」という本を読んで書いた記事があるんですが、最近その本をたまたま読み返していたら、1回目とは違った見方と言うか感じ方が出来たので、その辺の事をまとめてみようと思います。

すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)

すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)

  • 作者: 堀江貴文
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2017/03/16
  • メディア: 新書
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教会をベースにした信仰スタイルから脱するためにとるべき行動
どうも、コムヨシです。「教会ベースの信仰スタイルに違和感あるんだけど、具体的にはどうしたらいいの?」そんな疑問を...

前回の記事では、

  • やりたいことが出来ないのは学校によって「我慢」が美徳と教育されたから
  • 「我慢」「成績優秀」「従順」であることが採点基準
  • 優秀であればあるほど従順であるため、指示がないと動けない
  • 組織ではなく自分の「WANT」に従順になりましょう

という内容でまとめました。

もしかしたら重複するような内容になるかもしれないけど、

今回の記事では、ホリエモンが指摘する「洗脳」という部分についてもう少しだけ掘り下げてみようと思います。

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「洗脳は悪い人たちによる特別な行為」で自分には関係ないって思ってない?

「洗脳」という言葉についてホリエモンは次のように解説しています。

一般的に、何らかの意図を持った存在が、人の思想を強制的にねじまげていくことを「洗脳」と呼ぶ。その行為に、良いイメージを抱く人はいない。

でも、あなたが「洗脳は悪い人たちによる特別な行為で、〝常識的〟にくらしている自分とは関係のないものだ」と思っているのなら、それは大違いだ。

引用元:すべての教育は洗脳である〜21世紀の脱・学校論〜

とあります。

どういうことかもう少し引用してみましょう。

 オウムに「洗脳」された人たちも、そこで人生初の洗脳を受けたわけじゃない。もともといろんなものに洗脳されきっていた脳みそが、「いつものパターン」として、オウムの洗脳を受け入れただけなのだ。

引用元:すべての教育は洗脳である〜21世紀の脱・学校論〜

洗脳っていうのは教えによって成されるのではなくて、教団なり、組織なりによって作り出された「システム」や「環境」がなんらかの原因で自分の〝常識〟として刷り込まれるんだってことを知りました。

洗脳って、天理教をやっているボクには関係ないテーマだと思っていたけど、読み進めて行くうちに「オレ、完全に洗脳されてたやん」って思いました。

あなたは洗脳されていませんか?

やりやいことが出来ていないならアナタも「学校教育」に洗脳されてっから

いえ、あなたはすでに洗脳されています。

自分の「WANT」に無意識的にブレーキをかけてしまっている、ボクのような人は完全に洗脳されているんです。

なぜ自分のやりたいことが出来ないか、自分でわかりますか?

自分には金がないから?時間がないから?スキルがないから?

違います。

「自分には出来ない」って思い込んでいるからです。

好きなことばかりするのは「悪いこと」だと思い込んでいるからです。

何故でしょう。

その原因が学校教育にあるらしいんです。

学校というシステムは19世紀のイギリスで誕生したらしいのですが、その背景には「産業革命」という社会の変革がありました。

 人間を工業製品にたとえると不快感を覚える人もいるかもしれない。ただ、学校と工場が似ているのは、実は当然のことなのだ。そもそも学校は、工場の誕生と連動して作り出された機関なのである。

一定の年齢に達した国内の子どもを1箇所に集め、読み書きや計算を教えるーーこうした学校制度の基礎は、19世紀、つまり産業革命のイギリスで生まれた。

中略

産業革命以前、子どもは立派な労働力の一部であって、保護する対象ではなかった。だから当初、子どもたちは大人と同じように工場で働かされ、劣悪な労働条件や大気汚染の中、猛烈な勢いで死んでいった。

さすがにこれではまずいということで、政府が主導して作ったのが「学校」である。

学校の大きな役割は二つあった。一つは子どもの保護。そしてもう一つは、彼らを「望ましい工場労働者」へ育て上げることだ。

政府にとって、工場労働者の保護は死活問題だった。工場の生産性は、国家の軍事力と直結している。しかし、ただ単に人手があればいいというわけでもない。工場の生産性をあげるために必要なのは、基礎的な学力、忍耐力やコミュニケーション能力といった、複数の能力を兼ね備えた「人的資材」だった。

中略

19世紀にはリクナビもスマホもない。ある要求条件を満たす大人を、何千人・何万人という単位で集めるのは容易なことではなかった。

読み書きそろばんができ、指定された場所に毎日規則正しく通い、リーダーの指示に耳を傾け、言われた通りの作業に励む。そんなサイクルをこなせる「きちんとした大人」を大量に用意するには、子どもの頃から仕込むのが一番てっとり早い。

つまり学校はもともと、子どもという「原材料」を使って、「産業社会に適応した大人」を大量生産する「工場」の一つだったのである。

 今の学校も、この原則はまったく変わっていない。

引用元:すべての教育は洗脳である〜21世紀の脱・学校論〜

学校って「産業革命に適した大人」を大量生産する工場だったんですね。

っていうことは、学校って知識を学ぶところではなくて、誰かにとって都合のいい〝常識〟を植え付けるための場所だったんです。

その「誰か」っていうのは、国だったり社会だったり、いわゆる実態のない何かなんですよね。つまり雰囲気。

この〝常識〟がブレーキとなって、自分の「WANT」に素直になれないんですね。

そう、この常識というブレーキこそがホリエモンのいう「洗脳」にかかっている状態なんです。

あなたは洗脳されていませんか?

〝常識〟という洗脳が解ければあなたの信仰はもっと自由になる

結局この記事で何が言いたいかというと、

今の天理教は、「教会ありき」「本部ありき」「お供えありき」「その他諸々」の常識によって支配されている状態だということ。

つまり、旧式の常識に洗脳されている状態だということ。

その洗脳を解くには、いま自分がやっていることは「教えの実践」なのか「常識の実践」なのかを区別することが大切です。

どうやって区別するかは、人それぞれ基準が違うので、必ずしもこうだということはないけど、基本的には「疑問」をもつということが大切ですよね。

自分がやっていることは、

  • 本当に教祖が喜ぶことなのか。
  • 世の中のためになることなのか。
  • 誰かの救いになることなのか。
  • 自分自身が楽しいのか。

っていうことを問い続けることです。

もちろん矛盾を抱えていて、それでもどうにも身動きがとれないという人もいるでしょう。

一昔前までなら、自分の所属は変えられないと泣き寝入りするしかなかったかもしれません。

でも今は、オンラインで自由に誰とでも繋がれるようになったので、所属は変えられなくても自分が繋がりたい人たちとコミュニティを形成できる時代になりましたよね。

コムヨシのオンラインサロンもその一つです。

最近こっそり名前を変えました。その名も

「コムヨシのコンサル布教所」

ふざけてませんよ。ゼンッ然ふざけてませんから。

コムヨシ布教所こそ最先端の天理教コミュニティでしょう。

人数の多い少ないは関係ないんですよ。多い少ないは関係ないんです。ゼンッ然関係ないんです!す、少ないからなんなんだよ! か、かかってこいよコラ!

少ないからって全然寂しいとか思ってないんだからな! もう少し入ってもらいたいなーなんてこれっぽっちも思ってないからな! こんちくしょーめ!

そんな簡単に常識の洗脳から解き放たれるわけはないです。でも、「自分は常識でがんじがらめになっている」っていうことを知っているのと知らないのとでは、精神的ダメージが全然ちがうように思います。

ボクも完全に常識を捨てられるようになったわけではない(この記事も大教会当番中に執筆中)けど、そのことを意識できるようになってからは、あまりストレスに感じなくなってきました。オススメですよ。

もっと自由になりたいなら、自分を疑え。

もっと加速したいのなら、常識を捨てろ。

今日も一日陽気ぐらし!

コメント

  1. ponta241402 より:

    思ったのです。
    良い洗脳は教育、悪い教育は洗脳。てね。

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