【用木とは】神様がよふぼくに求めていることは○○|第2回コムヨシ布教所オンライン教理勉強会まとめ①

ども!コムヨシです。

4回にわたって第1回のオンライン勉強会の内容をお伝えしてきましたが、今回は第2回目の勉強会の様子をまとめていこうと思います。

今回のテーマは

神様がよふぼくに求めていること

をまとめてみようと思います。

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よふぼくの定義|天理的生き方をする人

第1回の勉強会のシリーズ③でも「よふぼくの定義」について触れていますが、おさらいもかねて、少し振り返ってみましょう。

シリーズ③の記事はこちらから

え?よふぼくって「おさづけの理拝戴者」のことじゃないの!?|第1回コムヨシ布教所オンライン教理勉強会まとめ③
ども!コムヨシです。前回と、前々回の記事で、コムヨシ布教所の「オンライン教理勉強会」の第1回目の内容をお伝えしました...

簡単におさらいすると、

  • 昭和34年の教規改定で「さづけの理拝戴者=よふぼく」と定められる
  • 必ずしも「さづけの理拝戴者」という限定的な意味ではない
  • よふぼく=天理的な生き方をする人

っていう感じになります。

ボクもそうだったように、現代では「よふぼく=さづけの理拝戴者」という限定的な解釈が一般的ですが、本来はそういう意味では使われていなかった、ということを学びました。

そこで、第2回の勉強会では、昭和34年以前は「よふぼく」という言葉がどのように認知されていたのか、ということを学ぶ事になりました。

気になりますよね。

「よふぼく」は「おふでさき」に出てくる

では、昭和34年以前はどんな風に使われていたのでしょうか。

ヒサマツくんはまず、天理教辞典(第三版)に記される「よふぼく」から次の分を引用してくれました。

天理教教典が刊行されてから広く使われるようになった。

つまり、裏を返せば教典が刊行されるまではあまり一般的に使われる言葉ではなかったということが言えそうです。

一般的に馴染みの少なかったという「よふぼく」という言葉は、一体どこからでてきているのでしょうか。

ヒサマツくんは、再び天理教辞典から次のようなおふでさきを引用してくれました。

一寸はなし神の心のせきこみハ
よふぼくよせるもよふばかりを

(第3号-128)

よふぼくも一寸の事でハないほどに
をふくよふきがほしい事から

(第3号-130)

ヒサマツ
ヒサマツ

よふぼくはたくさん必要ですよ、っていうことが説かれていると思います。

さらに、

にち/\によふほくにてわていりする
どこがあしきとさらにおもうな
(第3号-131)

をなじきもたん/\ていりするもあり
そのまゝこかすきいもあるなり
(第3号-132)

いかなきもをふくよせてハあるけれど
いがみかゞみハこれわかなハん
(第3号-50)

ヒサマツ
ヒサマツ

よふぼくは質が大事ですよ、っていうことも説かれています。

まとめると、よふぼくは

  • たくさんの数が必要なんだけど
  • 質が問われますよ

っていうことになるようです。

つまり、おふでさきを見る限りでは、「よふぼく=おさづけ」というよりは、「あの人すげーな」っていう信仰者のことらしいので、

なるほどの人

っていう言葉がしっくりきそうですね。

だからこそ「おかきさげ」が大事なんだって

「あの人ハンパねー!」

っていう人がよふぼくだということがわかりましたが、ここで思い出して欲しいのが「おかきさげ」です。

「おかきさげ」は

  • 教理の要点集
  • よふぼくの心構え

なので、おかきさげがどれだけ重要か、ということがなんとなくわかる気がしますよね。

  • 「ハンパねー人」が指針にすべきもの
  • 「ハンパねー人」になるために指針にすべきもの

とも言えるんじゃないかと思うので、「ハンパねー人」になりたいと言う方は、おかきさげの熟読をすすめてみてはいかがでしょうか。

〝おかきさげ〟は教理の要点集だった!|第1回コムヨシ布教所オンライン教理勉強会まとめ①
ども!コムヨシです。前回の記事で、コムヨシ布教所の「オンライン教理勉強会」についてサラッとまとめましたが、具体的にど...

ということは、神様がよふぼくに求めていることは

ハンパなさ

ということになりますね。よね?

今日も一日陽気ぐらし!

コメント

  1. より:

    いつも新しい刺激を与えて頂いております。
    ありがとうございます。
    「よふぼく」≠「おさづけ拝戴者」
    「よふぼく」=「なるほどの人」
    という新発見は驚きました。
    その上で疑問に思ったことがあります。
    をなじきもたん/\ていりするもあり
    そのまゝこかすきいもあるなり
    (第3号-132)
    「よふぼく」=「なるほどの人」だとしたら、″そのまゝこかすきいもあるなり″とはどういことなのでしょうか?
    ″こかすきいもある″ということは、そもそも「よふぼく」は「なるほどの人 」ではない人も含まれるということになってしまうのでは?
    と、思いました。
    この点についてどう思われますでしょうか?

  2. com-yoshi より:

    ★さん
    コメントありがとうございます!
    とても素晴らしい疑問だと思います。
    ご指摘いただいたおふでさきについてですが、ここで説かれている「き」というのは、まだよふぼくになっていない状態をさしている、と思われます。
    矢持辰三氏の「おふでさき拝読入門」では次のように解説されています。
    「中略
    「よふぼく」として引き寄せるために、親神は手入りする。その手入れに対して、心を倒すようなことは、決してないようにせよ。同じ「よふぼく」の素材である立木でも、親神が何度も何度も手入れをして立派な「よふぼく」に育て上げる場合もあるし、そのまま倒して横たえておくような立木もある(131〜132)」
    とあるように、ここでいう「き」っていうのは「立木(たちき)」のことで、よふぼくの「素材」だということが言えそうです。

  3. より:

    とても親切な解説ありがとうございます。
    とっても納得出来ました。
    おさづけ拝戴者 = よふぼく
    ではないということは、衝撃でした。
    私はよふぼくを神様が望んでいる、だから別席を受けて頂いてよふぼくになって頂きたい!
    と、ずっと思っていましたから…笑
    勉強になりました。
    なるほどの人を増やすには、まず自分がなるほどの人にならせて頂きたいものですね。
    共々に頑張りましょう。
    これからもblog楽しみにしています。
    ありがとうございました。

  4. com-yoshi より:

    ★さん
    衝撃ですよね!
    ボクも衝撃でした!w
    とても学びの多いサロンなのでとても楽しいですよ!

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