信仰のアップデートは自分の頭で考える力を養うことがポイント

どうも!コムヨシです。

コムヨシ布教所では毎月「月次祭」というオンライン会議を開催しています。

地域や系統を軽く飛び越え、立場も性別も年齢も関係なく、みんなが対等な立場で率直な本音をぶつけあう、本当に楽しくて有意義な時間をシェアすることができます。おそらく天理教内では唯一無二のコミュニティでしょう。

そんなコムヨシ布教所11月月次祭のテーマは、

【おぢばは子育て世代に優しくないか??】

ということについて語り合いました。

語り合う中で見えてきたのは、テーマに対する答えではなく、自分の頭で考えるという当たり前のことを教えてくれました。

今回はその一連の流れをまとめてみました。

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おぢばは子育て世代に優しくないか?

そもそもこの議論の発端は、コムヨシ布教所のメンバーさんのブログからでした。

リンク切れで今は見れないようですが、そのブログのタイトルは「優しくなかった」となっています。

概ねその意見に賛同する声が多かったように思います。コムヨシ布教所では、

  • なぜ優しくないのか?
  • いや、本当に優しくないの?

という感じで、1つの意見に対して慎重にかつ(いい意味で)疑いの気持ちをもって議論しています。

結局、優しいか優しくないかっていうのは個人の感じ方1つなので、ボクらが勝手に結論づけることはできないんですが、この議論からとても楽しい議論が展開されたので、そのことをご紹介します。

おぢばは観光地?

こんなキーワードが出ました。

  • おぢばは観光地ではない
  • だから神殿に案内板がない

神殿に案内板がないのは、おぢばが観光地ではないからだという話題がでました。

この問題に関しても色々な議論があると思いますが、現実問題本部神殿には案内板が1つもありません。

幼少時代からおぢばや教会が身近なものだったボクにとっても、その指摘は斬新でした。なんの疑問ももったことがなかったんですね。

でも言われてみれば、自分が神社仏閣などを巡るとき参考にするのはパンフレットや案内板です。大抵の方がそうだと思います。

でも天理教本部にはパンフレットはおろか案内板もありません。

こういう話題になるとどうしても、

「それなら早く案内板を設置しよう!」とか「親切なパンフレットを作成しよう!」とかっていう思考になっちゃうコムヨシです。

でもそうではないと。ないには理由があるっていうことを知ったんですね(もちろん一つの意見です)。

それが、「おぢばは観光地ではない」理論です。

正しいかどうかは別として、この考え方が今回の月次祭の議論の軸になりました。

信仰と業務の混在

コムヨシ布教所のメンバーの中に、20代の子どもをもつ女性がいます。しかも3年前に初めて天理を訪れた方です。

その方の「おぢばは子育て世代に優しくないか?」という問いに対して次のような意見を頂きました。

  • 自分が子育て世代の時代は
  • 授乳室とかベビーベッドなんて日本中どこにもなかった
  • でもそういう意見が議論を遅らせているのかも

という正直な意見を出してくれました。更に授乳室やベビーベッドがないことに対して

  • ないことにも理由があるのではないか?
  • (ないことによる)不便さで助け合いが生まれるんじゃないか?
  • 実は助け合いを実践するチャンスなんじゃないか?

という意見も頂きました。

助け合いが生まれるという視点には実に頭が下がる思いでした。

信仰と業務のグレーゾーン

この問題に関して

  • 神殿西側の身障者用のスロープは午後4時で閉まる
  • せめて夕勤めまで待てないの?
  • おぢばには「信仰的問題」と「業務的問題」が混在

という意見が出ました。

ボクはスロープの存在はもちろん知ってましたが、午後4時で閉まるなんて知りませんでした。24時間使えると思ってましたが、むしろ開いてる時の方が少ないなんていう話もありました。

何が言いたいというと、スロープを作るという問題は「身障者がラクに参拝できるように」という信仰的な観点から生まれているのに対して、実際は「それを管理する人がいるから時間的制約はやむを得ない」という業務的な観点です。

業務的観点がダメっていうことを言いたいのではありません。誰かが管理しなければいけない以上は時間的制約は仕方のないことです。それにしても、せめて夕勤めまでなんとかならないの?っていう感じです。

授乳室にしても、総合案内所にあるにせよ本部が積極的に謳ってるわけではないし、知らない人の方が多いように思います。それにボク等のように詰所が東側にある人からしたら遠すぎるし、一旦外に出なきゃいけないし、利用しようなんて思いません。

神社仏閣にそもそも授乳室は必要か

おぢばは神社仏閣のそれと並列では語れないかもしれないけど、一般の人からしたら同じカテゴリーに入るのは当然です。

そう考えると確かに子育て世代に優しい施設の方が少ないのかもしれません。例えばボクが東大寺に遊びに行ったとして、「授乳室あったらいいのにな」とは思うけどその反面「あるわけないよな」という考えもあります。

神社仏閣巡りに関しては「なくて当たり前」という前提で行っている気がします。

何度も言うようにおぢばと並列で語るのが正しいかどうか分かりませんが、これが普通の感覚なんだと思います。

「信仰を観光できる場所」それがおぢば

おぢばは観光地か?という問題で楽しい議論が交わされる中で、ボクの中にある人物の名前が浮かんできました。

松下幸之助。

言わずと知れた「松下電器(現:panasonic)」の創設者です。

松下さんは天理を訪れたことがあることはとても有名な話で、おぢばの奉仕精神に特に感銘を受けたという話はよく聞きます。

そんな松下さんは信仰を聞くために天理を訪れたのでしょうか。真意はわかりませんが、恐らく観光がメインだったのではないでしょうか。

おぢばを観光する中で、奉仕作業に徹する信仰者の姿を目の当たりにし「アナタはいくらで雇われているんですか?」という問いかけをしたといいます。

それに対しての奉仕者からの答えは言うまでもありませんね。

この天理訪問をきっかけに松下氏は経営理念を大きく転換したと言います。

おぢばが観光地かどうかは「個人の問題」であって定義するものではないということ、そして仮に観光地という概念で訪問した人に対しての観光資源は何だろうと考えたのです。

この問題と松下氏の訪問を照らし合わせた時にボクが出した答えは

「おぢばは信仰を観光できる場所」だと言うことでした。

我ながらいい言葉だと思いましたww

自分にとってどんな場所かを問い続けることが大事

いま天理教が抱える問題は、「本部の方針次第」と「自分の感じ方次第」という二つの問題に分かれるということに結論づけられました。

身障者用のスロープが4時で閉まるという物理的な問題に関しては、ボク等の心持ちではどうにもならないけど、それでもおぢばに帰ってもらいたいという心があれば、その問題はさほど大きな問題ではないと言えます。

今回の月次祭で感じたことは、「本部の方針次第」と「自分の感じ方次第」という問題をごっちゃにしてはいけないということです。

それは本部の言いなりになれ!という事ではなくて、いま出ている問題や課題の原因はどこにあるのかをちゃんと知ろうということです。やみくも批判しても仕方ないんですね。

スロープが4時で閉まるのはかなり珍事だけど、だからと言って身障者をお連れできないわけではないでしょう。大変だけど。

そこには、「どうしてもお連れしたい!」「この雰囲気を体験してもらいたい!」という自分の信仰心をベースに考えるべきなんでしょうね。

アナタにとっておぢばがどういう存在であるかを問い直すことが大事なのかもしれません。

答えのない議論から自分の信仰がアップデートされる

いかがだったでしょうか。

「おぢばは子育て世代に優しくないか?」という問題は、結局人それぞれなんですね。

優しくないと思えば優しくないし、優しいと思う人もいるかもしれない。(いるの?)

一見無意味にみえるこの議論の中で、それぞれ感じる部分や発見材料があったと思うんです。

ボクもたくさんの気づきがありました。

答えがでるかどうかは別として、疑問に思ったことはちゃんと言葉にして議論するっていうことがとても大事だと思いました。

でも以外とそういう議論をできる環境ってないんですよね。

ボクもこのサロンを始めるまでここまで議論できる環境ってありませんでした。楽しくて仕方ないです。

あなたもそんな環境を求めているならコムヨシ布教所は最適の環境です。

あなたの信仰のアップデートをあなたの手で掴んで下さい。

ご参加お待ちしています!

今日も一日陽気ぐらし!

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